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待望のソロ・アルバム『Monologue』をリリースするアーロン・アバナシーに迫る。
「あれだけの才能は他に見たことがない」 ― ブラック・ミルク
「プリンスやディアンジェロの系譜を継ぐ新たなスター」
そういった賛辞とともに紹介されるのはクリーヴランド出身のプロデューサー/ソングライター/シンガー/マルチインストゥルメンタリスト、アーロン・アバナシー(Aaron Abernathy)。あのスラム・ヴィレッジに見出され、彼らのツアーにおいて5年間にわたりミュージカル・ディレクターを努め、同門の盟友とも言えるデトロイトの鬼才ブラック・ミルクをして「あれだけの才能は他に見たことがない」と言わしめるその人は、所謂「業界」での人気・知名度の高さとは不釣り合いなほどに世間一般リスナーにとってはまだ馴染みのある名ではないかもしれない。
しかし、熱心なソウルファンであれば「AB(アブ)」という名には聞き覚えがあるのではないだろうか。2005年に彼がアブ&ザ・ソウルジャーナーズ名義でリリースした『Lyrically Inclined 1.3: The Odyssey』は、そのコーラスワークや声色から、一部の熱心なソウルファンたちの間では、当時表舞台から姿を消していたビラルやディアンジェロなどに重ねて語られるほどの傑作として語り草となっていた。確かに今聞き返してみても、ソウル/ファンクをベースにジャズやいなたいブルースのフレイバーを散りばめたトラックに重なるファルセットはまさにビラルやディアンジェロを思わせるものがあり、「アブ」という名を記憶に刻むには十分インパクトのある作品だったと言えるだろう。そのアブこそがまさに本稿の主役、アーロン・アバナシーその人だったというわけだ。
そんな鮮烈なデビューとなった2005年からの10年間、彼は同業の間でその名を広めていった。先にあげたように、スラム・ヴィレッジのツアーでは2005年から2010年までの5年間にわたりミュージカル・ディレクターを努め、2010年にリリースされた『Villa Manifesto』にも参加。更にスラム・ヴィレッジの元で共に切磋琢磨していたデトロイトの鬼才ブラック・ミルクのツアーでも2008年からミュージカル・ディレクターを努め、2010年の『Album Of The Year』には半数の曲に関与するなどまさに盟友とも言える信頼関係を築いている。
そうして『Lyrically Inclined 1.3: The Odyssey』から数えると実に11年ぶりとなる、当時から彼を知るファンにとって待望のフルアルバムが2016年12月にここ日本でリリースされる(アメリカ本国では10月にリリース)。『Monologue』 = 独白 と名付けた作品の中で彼は、プロデューサー/ソングライター/シンガー/マルチインストゥルメンタリスト(本作では全楽器を彼が演奏している楽曲もあり)としてその多才ぶりを存分に発揮。このマルチな才能と生音へのリスペクトが詰まった楽曲がアンダーソン・パックなどとも比較される所以だろう。
そんな本作のリリースを前に、アーロン・アバナシー本人に彼の音楽のルーツや『Monologue』で目指した世界観などを聞いた。
スラム・ヴィレッジ、ブラック・ミルクに認められた才能
―― まず経歴についてお聞かせください。現在はワシントンD.C.を拠点に活躍されていますが、出身のクリーヴランドからワシントンD.C.に移られたのは大学進学に合わせてですか?
そうだね、元々は生まれも育ちもオハイオ州クリーヴランドだけど、ハワード大学への進学に合わせてワシントンD.C.に越してきたんだ。
―― ハワード大学といえばダニー・ハサウェイやロバータ・フラックなど音楽界にも多くの著名人を輩出する名門大学として有名ですよね。どのようなことを学んでいたのですか?
ハワード大学ではジャズピアノの作曲、アレンジを専攻して、ビジネススクールで音楽ビジネスについても学んでいたよ。あそこは本当に素晴らしい場所だったね。あんな場所は世界中どこにもないよ。残念ながらまだ肌の色の違いによって区別されたり不当な扱いを受けたりすることもあるこの国において、黒人であることに誇りを持たせてくれる場所なんだ。いろいろ物騒なことも起こる国だけど、あそこにいる時は凄く安心できたね。新入生になったばかりの頃に、クラスのみんなの前でマックスウェルの「Woman’s Work」を歌ったら、すごく盛り上がったのは忘れられない思い出だよ。今になってもその時のことを覚えてくれていて、僕に会うとその話をしてくる人もいるくらいさ。
―― ご出身のクリーヴランドと現在拠点にしているワシントンD.C.はそれぞれどんなシーンが形成されているのでしょうか?またそれぞれのシーンがあなたの音楽性に与えた影響があれば教えてください。
現在の音楽シーンで土地独自の文化っていうのがどれくらい残っているのかはわからないけど、僕が過ごしてきたクリーヴランドとワシントンD.C.に関して言えば、とてもソウルに溢れた街だね。自分の楽曲やライヴパフォーマンスを世界に発信する前に、いったいどんな反応が返ってくるんだろうって確認するにはうってつけの街だよ。ソウルミュージックの黄金時代には重要なハブとしても機能していたし、僕が探求してきたソウル/ファンク/R&Bの解釈をとても自然に受け入れてくれるんだ。
それぞれの街のいろんなものが僕の音楽に影響を与えているとは思うけど、特にクリーヴランドでは、僕が10代の頃にゴスペルの大御所ウォルター・ホーキンズの聖歌隊のバックで歌うチャンスを与えてくれたロドニー・ハバードからはとても大きな影響を受けたね。彼の自宅スタジオで作曲したりレコーディングしたりできたのは貴重な経験だった。ワシントンD.C.では、自分で打楽器を演奏したりレコーディングしたりするうえで、ワシントンD.C.特有のGO-GOというジャンルからは影響を受けているよ。
―― 大学卒業後はスラム・ヴィレッジやブラック・ミルクといったヒップホップスターたちのツアーでミュージカル・ディレクターを務めた経験もあるそうですが、彼らとの出会いは何がきっかけだったのでしょう?
スラム・ヴィレッジと出会ったのは、当時マネージメントをしていた僕の母がCraigslistというサイトで僕のためのギグを探していたところ、スラム・ヴィレッジがツアーに同行するピアニスト兼ヴォーカリストを募集しているという記事が出ていたんだ。彼らは自分達の名前を伏せていたから、たくさんの人が見過ごしていたと思うんだけど、母が彼らに僕の音源を送ってみたところ気に入ってくれたんだよ。当時ソロ活動の傍らスラム・ヴィレッジと仕事をしていたブラック・ミルクとは、スラム・ヴィレッジを通して知り合ったんだ。
ミュージカル・ディレクターとしてスラム・ヴィレッジやブラック・ミルクと仕事をしたことは何物にも変えがたい経験だったね。僕とブラック・ミルクはスラム・ヴィレッジの門下生といったところで、スタジオだけでなくライヴにおいてもとても高いレベルを要求されたんだ。お互い切磋琢磨しながら世界中のスラム・ヴィレッジのファンのために最高のパフォーマンスができるよう努める日々だったよ。そういう音楽に対して常に真摯に向き合う姿勢を自分の作品にも適用するようになったんだ。

アーロン・アバナシーの多才ぶりが発揮された『Monologue』
―― では改めて今回リリースする『Monologue』についてお聞きします。今作は全曲プロデュースということでどういった世界観を目指して作品プロデュースを手掛けましたか?
『Monologue』で描いた世界観は、クリーヴランドで過ごした10代の頃の僕の内面についてで、どのようにして今の僕が形成されたかを物語っているんだ。だから全部の曲が大切な曲達なんだけど、タイトルソングでアルバムの最後を飾る「Monologue」(日本国内盤にはこの後にボーナストラックを2曲収録)は僕個人のMonologue(独白)であり、僕の生き方について歌った大切な曲だからぜひ聞いてみてくれよ。
サウンド面では、主に70年代のファンキーでソウルフルなR&Bサウンドを狙っているね。僕の父は70年代以降のソウル/R&Bを四六時中かけていたこともあってその空気感も狙ったんだけど、僕自身は90年代のR&Bも良く聞いていたから、その影響も感じられるものがベースになっているよ。更にそこに80年代のテイストも少し混ぜてみたんだ。
―― 今回はプロデュースに加えてシンガー、インストゥルメンタリスト、ソングライターなど多様な役割を一人でこなしていますが、それぞれの役割を果たすときに意識の差はありますか?
意識の差はほとんどないかな。僕の目標は、曲を通して一つの完成された物語を伝えることなんだ。そのために、楽器のチョイスもメロディーがはまるようにしているし、そのメロディーに相応しい言葉(歌詞)をつけるようにして全体像をつくっていくんだよ。そうすると、1つの作品を仕上げていくためには常に全ての役割のことを意識して取り組んでいくことになるからね。
―― ボーカルも含め全楽器の演奏もしている曲と他のミュージシャンが弾いている曲とがありますが、それもプレイヤーとしての自分とプロデューサー/ソングライターとしての自分がそれぞれ客観的に見ながら決定しているのでしょうか?
もう1つ僕が音楽制作で重要視していることは専門性なんだ。キーボードや打ち込み、ドラムの基本的なパターンを自分で演奏して、一人で完結するのがベストな曲もあるけれど、自分が求めるレベルの演奏を自分でできないと感じたり、複雑なパターンや構成が登場するような曲を作ったりした場合は、僕がキーボードで作ったものをベースに、僕の表現したい世界観をしっかり表現してくれるその道のプロのミュージシャンに参加してもらうようにしているよ。やっぱりその道のプロが奏でる生楽器の音色に敵うものはないと思っているから、レコーディングでは常にその良さをパッケージング出来るように努めているね。
―― 「その道のプロ」として信頼を置いている参加ミュージシャンたちとはどこで出会ったんですか?
このアルバムに参加しているミュージシャンのほとんどは、ここ10年くらい僕がアメリカを中心にパフォーマンスしてきた中で出会った人たちだよ。お互いに大人として、プロとしてリスペクトし合えて、必要な時に気兼ねなく連絡が取り合えるいい関係性を築けているね。特に「Favorite Girl」のミュージックビデオに登場している僕のバンドNat Turnerは、この曲のレコーディングメンバーでもあるし他の曲でも演奏してもらった大事な仲間達さ。
―― 次回作の構想もすでに練られているんですか?
もう次のアルバムの制作に取りかかっているよ! まだ全体のコンセプトを考えている段階だから、今のところはまだどんな作品になるかは固まってないけどね。どんな作品になるか期待していてくれよ!
―― 今作のリリースを前に、日本ではプリンスやディアンジェロの系譜を継ぐ新たなスターとなる才能だと称賛をされています。これについてどう思われますか?
世界的なアーティストである2人と比べられるなんて光栄だよ。確かにファンクやソウルに影響を受けたという意味では僕も彼らと同じ道を歩んでいるとは言えるね。僕は自分が聴いて育ったソウルミュージックの遺産を継承していきたいと思っているんだ。ジェームス・ブラウンやスライ・ストーン、マーヴィン・ゲイ、ルーファス&チャカ・カーン、アース・ウィンド&ファイア、パーラメント・ファンカデリック、そしてプリンスやディアンジェロ、その他にも多くのアーティストが道を切り開いてくれた。僕はその足跡を追っていくつもりだよ。
―― 追いかけていきたい偉人たちの名前がいくつか出てきましたが最近のアーティストで気になるアーティストはいたりしますか?
そうだなぁ……。いくつか挙げると、アレックス・アイズレーやエミリー・キング、ローラ・マヴーラ、エミリー・サンデー、アンダーソン・パーク、ソランジュ、トゥイート、マイケル・キワヌカ、ジ・インターネット、バッド・ラビッツ、エスペランサ・スポルディング、リアン・ラ・ハヴァスなんかはとてもリスペクトしているね。
―― 最後に、あなたのライヴを心待ちにしている日本のファンへメッセージがあればお願いします。
僕のアルバムを聴いてくれて本当にありがとう。みんなのサポートに心から感謝しているよ!日本でパフォーマンスすることは僕にとっても夢だから実現できれば最高だよ!
Words by Nobuaki Takayama