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ヒップホップを革新し続けるレジェンド、DJ KRUSHの新章
DJ KRUSHを今さら詳しく紹介する必要はないだろう。1983年に日本で公開された映画『Wild Style』に感化されてDJを始め、日本のヒップホップ・シーンの黎明期から原宿の歩行者天国でストリート活動をしていた話は有名だ。その歩行者天国で出会ったMUROとDJ GOとKRUSH POSSEを結成し、初期の日本のヒップホップに多大な影響を与えたことや、その後ソロ・アーティストに転身し、当時類を見なかったプロデューサー主体のヒップホップ・アルバムを出したこと、UKの名門Mo’ Waxに所属し、唯一無二のサウンドクリエイター/DJとして世界的に活躍したことなど、功績を挙げていけばキリがない。ただアメリカの真似をするのではなく、独自の道を切り開き、日本人が日本人としてヒップホップをやることに成功した、紛れもないパイオニアである。そんなDJ KRUSHがオリジナル・アルバムとしては2004年の『寂』以来となるニューアルバム『Butterfly Effect』を完成させた。
客演にはレバノン出身のシンガー、ヤスミン・ハムダン、80年代から活動を続けるベテランMC、ディヴァイン・スタイラー、LAのビート・シーンで名を馳せたプロデューサー、フリー・ザ・ロボッツ、南アフリカのラッパー/プロデューサー、クロスビー・ボラニ、札幌を代表するリリシスト、tha BOSS、そして、佐村河内守のゴーストライターであったことが発覚し、時の人となったピアニスト、新垣隆(!)を迎えている。
新垣隆が参加した壮大で、映画音楽のような「Nostalgia」。フリー・ザ・ロボッツとの化学反応が生んだネクストレベルな狂乱のビート・サイエンス「Strange Light」。ダブ感のあるスロウなビートにホーンが反響する「Song of the Haze」。クロスビー・ボラニとのラガ・ヒップホップ「Sbayi One」。ギターが鳴り響くトラップ・ビート「Missing Link」。深遠かつ色鮮やかなダウンテンポ「Coruscation」。希望に溢れたメロディーが心を温かく包む、tha BOSSとの邂逅「Living in the Future」。そこにあるのは2015年の、現在のDJ KRUSHの音だが、それは安易に“今風”になっていると言う意味ではない。最近のサウンドも部分的に取り入れているが、何よりも、DJ KRUSHというひとりの人間が歩んで来た人生の重みや、培って来た経験に裏付けされたDJ KRUSHなりの進化がそこにはある。このアルバムには新しいDJ KRUSH像と、何ら変わっていないDJ KRUSHらしさ両方が詰まっており、それが、DJ KRUSHの音楽に出会いヒップホップに対する価値観が覆されたいちファンとして、筆者はこの上なく嬉しい。新作にはどういった思いが込められているのか?DJ KRUSHにインタビューを行った。

―― まずは、新作が11年ぶりのリリースになった理由から教えてください。
Sonyとの契約が終わって、次のアルバムは出したいなと思っていたんですけど、その時期、販売形態もアナログとCDから配信へと変わってきていた。音楽業界が凄く不景気になってきて、なかなかアルバムの発売に繋がらなかったんですね。出したいという気持ちは常にあったんだけど、条件が合わなかったりして。どういう形で出したらいいのかっていうのを模索していたら、あっという間に11年経っちゃいましたね(笑)。
―― 2011年から2012年にかけて、1曲ずつ配信するシングル・シリーズを何ヶ月かやっていましたが、アルバムではなく曲単位で発表してみて、いかがでした?
あれはあれで面白い試みだったけど、やっぱり全体的にインパクトに欠けるかなと。ひとつのコンセプトを決めてアルバムという形で出さないとちょっと弱いのかなと思いましたね。
―― アルバムを出していなかった期間も、ライブ用に新曲を常に作っていたんですよね? そういった曲をまとめてアルバムとして出すということは考えましたか?
アルバムはコンセプトを決めて作ってるから、フロア向けに作ってる曲とはコンセプトが合わなくて。アレンジを変えて、こっち用に手直しすることはできたけど、どうも俺は全部切り捨てていっちゃうんだよね。昔作ったものをとっておいて、今風にして出しちゃう人もいるけど、俺は基本的に昔のものは捨てちゃう。よく言われるんですよ、後輩のDJに。「KRUSHさん、これ今出したほうがいいですよ!」って。でも俺は「もうこれ終わってるから駄目なんだよ」って答えたり。アルバムを作るってなって締め切りが決まったら、それに向けてガーッと作っちゃうから。後ろは振り返らないですね。
―― DJ KRUSHさんのアルバムは、『迷走』以降は基本的に漢字の1、2文字のタイトルでしたが、今回は『Butterfly Effect』と、英語のみのタイトルです。サウンド面でも、今回は和楽器だとかそういった要素はあまりないです。和をテーマにしていた前作とは違うものにしようという意識はありましたか?
世の中の流れもあるんだけど、昔のアルバムは結構自分と向き合っていたんだよね。でも3.11以降色々と見方が変わって、もっと大きく物事を見るようになった。年齢も重ねていって、自分の子供が独立して、孫ができて。11年間の間に色々なことが起きて、その結果今回は自分に向けてというよりは、もうちょっと大きく物事を捉えたいっていう気持ちがありましたね。
―― “些細な出来事が大きな現象を引き起こすこと”を意味する『Butterfly Effect』というタイトルは、確かに壮大さを感じます。
今起きたことが、もしかしたらもの凄く違うことになってしまうかもしれない。そういう中で俺等は生きている。良いことも、悪いことも。さっきまで元気だったのに車にひかれちゃったりとか、自然災害も含めて何が起こるか解らない。でも、時間は進んで行くし、未来は来てしまう。昔はそういうことを考えてなかったんですよね。子供達を見ているとそういうことを考えてしまう。世の中でも、ネガティブなニュースばっかりだし。「大丈夫、地球? 大丈夫、人類?」 みたいな。そういうおじさん的な見方になっちゃったというか(笑)。
―― “バタフライ・エフェクト”とはちょっと違うかもしれませんが、DJ KRUSHさんは、因果応報やカルマを信じます?
信じる、信じないというよりは、そういう気持ちで生きて行くことは大切かなって。自分の行いはいずれ自分に返ってくるんだ、という思いで生きていたほうが良い。結局、俺はだらしないからさ。自分のことは一番自分がわかってる。だから、そのぐらいのことを植え付けとかないと、また悪さしちゃうというか(笑)。そうやって一本釘を刺されとかないと駄目な面があるからね。
―― ジャケのアートワークは森本晃司さんですが、この方にお願いをしようと思った経緯は?
単純に日本が誇れるもののひとつとして、アニメが挙がってくるし、『AKIRA』の世界観が好きで。あと、古い映画だけど『Blade Runner』とか。ああいう、アジアの古い文化と新しいものが融合した世界観は好きですね。それに森本さんは発想が奇抜だし、昔から興味があったんですよね。今回は11年ぶりだし、こういったアニメ系のテイストのジャケットはまだやったことなかったから、お願いしてみようかなと。

DJ KRUSHが選び抜いた、『Butterfly Effect』の強力客演陣
―― 毎回、DJ KRUSHさんのアルバムの客演の人選は面白いと思います。今回の作品でコラボレーションをした人は、どういうふうに選びましたか?
まず、アルバムのコンセプトを決めてから、ゲストはどうしようかって話になって。5、6人いれようか、じゃあ今までみたいにヴォーカル入れて、英語圏の人のラップも入れて、日本人も入れたいよねって話になって。で、過去にDJシャドウとやったように、DJ同士で作る曲も入れたいなと思って。それで、誰にしようかって考えていきましたね。
ヤスミン・ハムダンは、ビル・ラズウェルとかバーニー・ウォーレルとかと一緒にバンドをやってるんですが(註:メソッド・オブ・デファイアンス)、ビルが以前から「彼女いいよ」と言っていて。聴いてみたらレバノン生まれで、英語じゃない言葉で歌ってるし、独特の雰囲気があるシンガーで、一緒にやりたくなって。それでオファーしたって感じですね。アラビア語でやって欲しくてそうリクエストしたんだけど、上がってきたら英語になってて(笑)。彼女的にそうじゃないと感じたのかもしれないですね。言葉数も少ないし、ぽろぽろと置いて行く感じの歌い方で。向こうで歌を乗せたトラックを送り返してもらって、構成変えて、足りないところに音を足して、歌を少し動かしたりして、曲を完成させたって感じですね。
ディヴァイン・スタイラーはレジェンドですよね。俺がまだ若い頃に12インチが出てて、DJでよくかけてました。ここ何年か、ディヴァイン・スタイラーがいるレーベルから何かやろうっていうオファーがあったんだけど、タイミングがなかなか合わなくて。で、今回アルバムを作るから、じゃあレジェンドだし昔よくかけていたディヴァイン・スタイラーにお願いしようと思って。詞の世界観も好きだし。コンセプトを教えてトラックを送ったら「コンセプト面白いじゃん」って言ってくれて、返ってきた曲は凄く哲学的に仕上がっていて。本当にスムーズにポンポンと進みましたね。
Low End Theory系の人で良い人はいっぱいいるけど、中でもフリー・ザ・ロボッツは結構DJでかけていて、好きだったんですよね。彼は色んな世界観を持っているじゃないですか? ジャズ的なことも抽象的な音もすごいし。そのセンスに触れたかった。頼んでみたら即答でOKを出してくれた。まずはシンプルなビートを組んで、彼がそれを聴いて色付けしていって、何種類か色付けしたものを送ってくれて、じゃあ2番目の曲の最初の部分と、3番目の曲のケツがすごくいいからそこをくっつけよう、とか俺が構成を組み直して、その上から多少音をのっけたものをまた彼に送って。それに刺激されて向こうも音を足して、っていうのを何度か繰り返して「Strange Light」が出来ましたね。かなり気に入ってます。
クロスビー・ボラニは元々知らなくて、事務所の人間に教えてもらったんですけど、聴いてみたら良くて。こういうラガ・テイストのラッパーってやったことがなかったんですよね。メロディーにちゃんと乗っかっちゃう系の、土臭い感じの。それでやってみようと思いましたね。いままでにないタイプの人だったんで面白かった。
BOSSとやったのは、15年ぶりくらいかな?「Candle Chant」(註:2001年の『漸 Zen』収録)以来ですからね。今年の春ぐらい、ちょうどこのアルバムの制作をしていたときに、たまたまBOSSからひさびさにメールがきて、「実はBLUE HERBではなくソロでアルバムを出す予定なんですけど、KRUSHさん1曲やってもらえませんか?」って言われて。BOSSなら喜んでやるよって返して、いつぐらいにアルバム出るの?って訊いたら、秋ぐらいって言われて。「俺も実は秋ぐらいにアルバム出るんだけどさ」って言ったら、それはバッティングしちゃってあまり宜しくないかもしれないねっていう話になって。しかしBOSSは中心が国内のファンで、俺は海外が中心だし、もったいない話だからなんとかやる方向はないかって考えて。それで、じゃあ両方のアルバムに同じ曲を乗せようっていうことになったんですよ。今までそういうのあまりなかったし、お互いにとって面白いから。すごい偶然だったんだよね、タイミング良くメールが来て。それもまた“バタフライ・エフェクト”かなと。
―― そうして出来た「Living in the Future」は、「Candle Chant」の続編とも言える曲ですよね。
そういう内容の曲を俺とやりたかったみたい。お互い人生経験をある程度積んで来たし、今の2人にしか出来ない曲をやりましょうと言われて。BOSSのライムはある程度出来ていて、それに合わせてトラックを作っていったんだけど、作り易かったね。どういうトラックが良いかなって話し合ってイメージの擦り合わせをして。同じ絵がスッと見えればそれに向かって進めばいいわけなんだけど、彼とはそれがすごいスムーズで。BOSSの詞の世界観は本みたいだし、イメージがすぐに湧いて来るんですよね。凄く刺激される。彼は幅が広くなったし、ヒップホップは大好きなんだけど、それ以上にマインドが広がってるというか。一回りも二回りも、昔より大きくなったんじゃないですかね。

―― 今回のゲストで最も驚いたのは、やはり新垣隆さんでした。
「そう来たか!」ってなるよね(笑)。俺はピアノが好きだから、ピアノの人を呼びたくて。新垣さんは変な形で知られちゃったけど、何人か名前が挙がったうちのひとりで。今回、アルバムでやりたいことがひとつあったんですよ。俺、母方の田舎が仙台なんですけど、震災以降色々な想いがあって。子供の頃夏休みになると田舎に戻って田植えや稲刈りの手伝いとか、バッタ捕まえたりとか、川に飛び込んでザリガニ捕まえたりとかって記憶が凄く鮮烈に残ってるんです。匂いまで覚えてるぐらい。セミが遠くで鳴いてたり。震災があった以降、そういう記憶をよく思い出していて、あの雰囲気を曲に出来ないかって思って作ったトラックがあったんですよ。それを今回、ピアノで使おうと思って。
新垣さんはメインがそういうメロウな曲ではなくて、現代音楽のすごくトリッキーな、下手すると普通の人がきいたら「?」ってなっちゃうぐらいの音楽をやっている人なんだけど、あえてそういう人間味のあるものを新垣さんにぶつけたらどうなるかなって思って。それであのトラックに参加してもらったんです。スタジオに入って、何パターンかやってくれましたね。ちょっと緩いバージョンと、激しいバージョンとか。頭から最後まで一発録りで何テイクか録って、「あとはKRUSHが料理してくれればいいよ」って言ってくれたんで、色々なテイクを部分的に組み合わせて、構成を組んで、それにウワモノまた足したり、音を引いたりして仕上げました。面白い曲になったと思う。
―― インスト曲「Missing Link」はちょっとロック調のギターもあり、ビートがトラップ的なリズムだったのが面白いです。
ひさびさに808を打ってみたら、なんか面白くて。一時期ダブステップとかトラップとかよくかけていたから、そういうの1曲あったらいいなって思って作ってみたんですよね。でもあんまりエレクトロすぎるのもあれだなって思って、ギターを乗せてみたらなんか変な感じになって(笑)。
―― 現在は主にどういった機材を使用しているんですか?
メインは昔と変わらずAbleton Liveで、今回はテンション上げるためにMPC RENAISSANCEを新しく導入してみました。知ってる人に使い方を教えてもらって。最終的にはLiveに音を入れてまとめて、Pro Toolsでミックスという感じですね。
―― サンプリングはします?
俺のアルバムは世界中に出ちゃうんで、ある程度承諾されているものじゃないと厳しいけど、サンプリングはしますね。サンプリングCDとかを使ったりもするし、曲によっては自分で弾いたりもしますね。

1stアルバムからオリジナリティーを追求し続けてきた先駆者、DJ KRUSH
―― 比較的簡単に、安価で音楽が作れるようになった現代、ベッドルーム・プロデューサーも星の数程いますし、オリジナリティーを追究するのは昔よりも難しくなっていると思うんですけど、今、オリジナルな音楽をやろうとする場合、どうすればいいと思います?
それは俺も知りたいね(笑)。KRUSHらしさっていうのはあるのかもしれないけど、俺自身まだまだ掴み切れてないし。でも昔よりは「これは自分的だなって」意識して出せるようにはなったかな。昔はもうただまっすぐ走ってただけで、結果として自分らしさが出ていた。でも、あまり求め過ぎちゃうというか、それありきで進んで行っても駄目だと思う。しかしやっぱり、自分らしさを求めるという行為がいずれ身になるとは思うね。知らないうちに、俺にしか出来ない音ができてるじゃん、となっていくと思う。
昔は(AKAIの)S-1000と(ROLANDの)MC-50を使っていて、それだけでも人とはちょっと違うものが作れたし、情報が少なかったから新鮮だったけど、今は全てが目の前に揃ってる状態だからね。今の子達は大変だと思うよ。でもオリジナルを追究しないわけにはいかない。人と同じことをやっていたって、世界では通用しないですからね。アメリカと同じヒップホップをやっていても、世界に持って行ったら良いって言われないだろうから、じゃあどうすればいいんだろう?って自分と向き合うしかない。もちろん、そこにこだわってやるヒップホップの美学もあるし、それはそれで素晴らしいんだけど、俺の場合はそれじゃもの足りなかったんだよね。
―― KRUSHさんはアルバムの制作期間中、なるべく他の音楽を聴かないようにするとのことですが、それもやはりオリジナリティーの追究ですか?
他の曲の要素が入っちゃうのを恐れてるんですよね。だから色々なものをシャットアウトしちゃう。その分、酒をいっぱい飲みます(笑)。
「インストとしてちゃんと成立しているヒップホップ…言葉は乗ってないけど、これ(音)が俺の言葉じゃん!って思ってた」 ― DJ KRUSH
―― KRUSH POSSEを解散し、ソロアーティストとして1994年に1stアルバム『KRUSH』を出したときは、インストゥルメンタルのヒップホップ・アルバムというものはまだ珍しかった時代ですが、その背景にも人とは違うことをやりたいという願望があったのでしょうか?
そうだね。KRUSH POSSEをやっていた頃はMUROがいるから俺たちDJが成立していた。ヒップホップってそういうもんだって思ってたんですよ。ラッパーがステージでラップして、DJが後ろで2枚使いやって。メインのMCがいなくなったとき、当時はインストでアルバムをやるなんて考えもつかなかった。そのときにあったインストは、ただのラップのオケであって、展開のないループものだった。でもひとりになったとき、なんとかDJで飯を食って、「職業だ」って言いたかったから、何をすればいいかを考えたんですよ。当時バンドの人達と仲良かったから、バンドの中でDJとしてやっていたんだけど、あるときにバンドの連中に「人のレコードをそうやってコスって、お前に何が出来んだよ」って言われて、それがすごくシャクで。「ソロできんのかよ」みたいな。そういうこともありつつ、色々考えてましたね。
で、当時イギリスでアシッド・ジャズが流行ってきていて、それともリンクして、ヒップホップ・トラックにヘヴィなトランペットとか入れたら格好良いんじゃないかって思って、バンドの人とかトランペットを使って実験的にやってみて出したのが1stアルバムだったんですよ。で、そのあとそういうジャズ・テイストのブームが来たんだけど、俺はそのときもうそれには飽きてて。1stアルバムには短い、変なブレイクビーツが入ってるんだけど、Mo’ Waxのジェームス・ラヴェルがそれを聴いていて、「真ん中に入ってる短いブレイクビーツが面白いんだけど、これを引き延ばして、ラップなしで、ヒップホップが感じられる何かできない?」って言われて。それは丁度俺も考えていたことだし、同時期にアメリカでシャドウも同じことを考えていたんですよ。それでお互いMo’ Waxに入って、インストのヒップホップのアルバムを作ることになって。すでにアメリカにあった、ラップのオケ的な、ケニー・ドープとかのループ集ではなくて、インストとしてちゃんと成立しているヒップホップ。それがヒップホップかどうかは解らないけど、俺はそれをヒップホップだと思ってたんだよね。言葉は乗ってないけど、これ(音)が俺の言葉じゃん!って思ってたし。
そのうち、他にもそういうのを作る人が出てきて、“トリップホップ”とかワケわんないこと言う人達も増えて。でもトリップホップとかアブストラクト・ヒップホップとか言われていたあの初期の頃、誰も理解してなかったんですよね。ドイツにツアーとか行っても、BPM 70とかありえないわけですよ。踊れないし。「何だこの暗い音楽?」ってなってた。でも解ってる人達は解っていた。それを何年も耐えて、負けないでやってきた結果、ちょっと火がついて、そこから広がって行った。それからヒップホップが変わって行ったんですよね。
―― フライング・ロータスは15歳ぐらいのときにKRUSHさんの音楽を聴いて、インスト・ヒップホップの存在を知り衝撃を受けたとインタビューで語っていました。KRUSHさんの音楽に出会ったからこそ音楽をやっているアーティストもきっと数多いと思います。そういったことを振り返ってみて、どう感じますか?
まさに“バタフライ・エフェクト”だよね。そのときは自分のことで必死でそういうことは考えてなかったけど、結果として、自分のDNAが違う形で色々な人々の中に存在しているんであれば、今までやってきて良かったなと思いますね。でもそういう人達もクローンじゃなくて、自分のDNAの一部として、どんどん大きくしていって欲しいし、それがまた次の世代へと繋がっていけば嬉しい。フライング・ロータスが落としたDNAを受け継いだ人が、また自分のDNAを落とす作品を出して。それが自分らしさにも繋がると思うし。それは俺も、フライング・ロータスも、同じだね。自分を落として行く、という。
Words by Danny Masao Winston