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MPCの手打ちで人間味のあるグルーヴを表現するSTUTSがデビュー・アルバムをリリース。彼のルーツを探るべくインタビューを敢行した。
ニューヨークはハーレム、125丁目の路上。日本人の若者がMPCを叩いている。ファンキーなネタに太いドラムが合わさったその音楽は、道行く人々の足を止め、視線を釘付けにする。写真を撮る者もいれば、踊り出す者も、フリースタイルラップを始める者もいる。「この東洋人が演奏しているのは俺たちの音楽じゃないか」と言わんばかりに盛り上がるハーレムの住民の様子を見ていて、ついニヤニヤせずにはいられない。
これはトラックメイカー/MPCプレイヤーのSTUTSが2013年に行ったハーレムでの路上ライブの動画。本来制作ツールであるMPCを彼はリアルタイムで叩き、曲を“演奏”する形式のライブで都内を中心に活動している。ターンテーブリストの前ではターンテーブルもただの再生装置ではなくなるのと同様に、STUTSのようなMPCプレイヤーにとって、このサンプラー/シーケンサーは楽器と化してしまう。
16個のパッドを駆使しループや音ネタを再生しながら、ドラム・パターンを指で演奏し、自身の楽曲を小節ごとに再構築していく。こういったMPCライブと平行して、これまでRau Def、Haiiro De Rossi、ZORN、KMCなど、日本のラッパーを中心に多数のアーティストに楽曲提供を行っており、プロデューサーとしても近年頭角を現していた。
そんなSTUTSが、4月20日にSPACE SHOWER MUSICよりデビュー・アルバム『Pushin’』をリリース。Campanella、KID FRESINO、jjj、呂布カルマ、PUNPEE、Alfred Beach Sandal、CHIYORI、K.Leeなど人気アーティストが多数参加しているが、アルバムの主役はもちろんSTUTSのビートである。
ファンクやソウル、ジャズなどのレコードから珠玉の音の欠片を切り取り、MPCで組み立て、MicroKorgシンセで味付けした彼のトラックたちは、天気の良い昼下がりや黄昏時に心地良くフィットしそうな爽やかさや哀愁を漂わせる。しかしそのアナログな質感とスウィング感のあるファットなドラムスは紛れも無くヒップホップ。パンチのないキレイ系ジャジー・ヒップホップとは一線を画している。絶妙なキャッチーさとポップ・センスを兼ね備えていながら、アングラ・ヘッズの頭も揺らす多彩な作品『Pushin’』で、STUTSが華々しくデビューを飾った。



STUTSが語る幼少期とヒップホップとの出会い
― どんな子供時代を過ごしました?
わりと家でゲームをしてることが多かったですね。あと機械に興味がありました。(パソコンの)キーボードの絵を描いて、叩くフリをして遊んだりとか。ボタンとかが結構好きで。音楽はそんなに意識してなかったんですけど、自分で歌を作って歌ったりすることはありました。
― 家ではどういった音楽がかかっていました?
山下達郎とか、ユーミンがすごく流れてましたね。あとはビートルズとか。そういう音楽の影響で僕は結構メロウな曲が好きなのかなって思います。
― ヒップホップとの出会いは?
僕が始めて買ったCDが、小6の時に買ったケミストリーの1stなんですけど、そのアルバムにDABOさんをフィーチャーしてる曲があって。初めてラップっていうものを聴いて、「なんだこれは!」って思って、ずっとその曲ばかり聴いてました。そのあとは普通に流行ってるRip Slymeとかエミネムとかにハマって。中2ぐらいからラップのリリックも書きだしました。
中3の時にCDショップでア・トライブ・コールド・クエストの曲が入ったコンピレーションと出会った時は、大きな転機になったと思います。その曲ってトライブの「Buggin’ Out」だったんですけど、ものすごい衝撃を受けました。音楽に対する考え方が変わったというか。そこからアメリカの90年代とかクラシックなヒップホップを掘るようになりましたね。
― トラックのプロデューサーだとか、ヒップホップの音楽面を意識するようになったのは?
トラックの良さに目覚めたのはやっぱりトライブがきっかけでしたね。それまでは主にラップを聴いていたんで。
― 周りにヒップホップを聴いてる友達はいました?
それが全然で。ずっと自分ひとりで掘ってました。中学と高校は鹿児島の男子校に通っていて、寮生活だったんで周りに友達はいっぱいいたんですけど、オススメの曲を聴かせてもそこまで良い反応は得られなかったですね。
― トラックを作るようになったのは?
中3の終わり位に自分でビートを作りたいと思ってSP-303を手に入れました。寮ではパソコンが禁止だったんですけど『BLAST』という雑誌でビートメイカー特集があって、そこに色んな機材が載ってたんですよ。本当はMPC 2000XLが欲しかったんですけど、高かったので買えませんでした。
― MPCを購入したのはいつ頃でした?
高1になってからですね。その時に買ったのがMPC 1000で、それからはMPC 1000をずっと使っています。
― 周りにトラックを作ってる人ももちろん居なかったんですね?
中学と高校が中高一貫で同じだったんで高校に上がってからも周りにそういう友達はいなくて、ずっと一人で作ってましたね。ちなみにトラックを作り始めた最初の理由って自分でラップする用だったんですよ。最初はラッパーになりたくて。でも周りにラップしてる人がいなかったんで誰かのインストでラップするっている発想がなくて、自分で作るしかないと思ったんです。高校の時もネットは使えなかったんで、雑誌とかサンプリングソースが載ってる本とかで勉強して。あとトライブとかデ・ラ・ソウルとかのサンプリング・ネタだけを集めたレコードのコンピを買ったりしましたね。



― 昔ながらというか、90年代のヘッズみたいですね。
2005, 2006年ぐらいの話なんですけどね。門限があったんでイベントも行けなくて。レコ屋は行けたので、Echo Chamberってレコ屋の店員さんに色々教えてもらってました。その頃は元ネタを結構掘ってたんでソウルとかファンク、ジャズとかを色々聴いて。特にハマったのはミニー・リパートン。あと、店員さんに教えてもらったラリー・ヤングの『Larry Young’s Fuel』というレコードとか。スラム・ヴィレッジの「Fat Cat Song」の元ネタなんです。
― 影響を受けたトラックメイカーは?
やっぱりQティップ、ピート・ロックですね。あとプレミア、Jディラとか。それと、マッドリブを知る前からカジモトが凄い好きで。日本人のプロデューサーでいうとDev Large、スチャダラパーのDJ Shinco、Mitsu The Beats、Bachlogicとかですかね。
― 高校を卒業して上京するまでは基本的にひとりでヒップホップを掘って作っていたという訳ですね。
そうですね。上京してからはネットで知り合ったラッパーのバックDJでイベントに出るようになって、自分のビートを入れたCD-Rを配ったりして、そこからアーティストの知り合いが増えていきました。2008年ごろですね。今回のアルバムに参加していただいた人たちも、その頃出ていたイベントで知り合った人が多いです。一番最初に出会ったのがjjjですね。
― MPCの生演奏ライブはどういう流れで始めたんですか?
最初はDJとしてイベントに出ていたんですけど、DJだと自分の作ったビートをあまり発表できないなと感じて、どうすればいいんだろうって考えてた時にYouTubeでアンチコンのジェルとか、HIFANAの動画を見て。これで自分の作ったビートを皆に聴いてもらえるって思ってやり始めたんです。
― ビートメイカーのライブというと、すでに完成しているトラックをエフェクトなどを駆使しながらかけていく形式のライブが主流ですけど、そういったライブはやらなかったんですか?
その時はまだビートメイカーのライブというものを見たことがなかったんですよ。だからそもそもその発想がなくて。
― なるほど、これも知らなかったからこそなんですね。
トラックを作る時は普通にシーケンスを組む時の方が多いんですけどね。でも最初のうちはライブといってもソロのショーケースではなくて、ラッパーさんのバックとか、ダンサーさんと一緒にやるのが多くて。一番最初にやったのは、フリースタイル・セッションでしたね。オープンマイクで色んな人がラップしている所でMPC叩いて。渋谷Familyでやっていたイベントに2009年から2012年ぐらいまでレギュラーで出ていたんですけど、そこで徐々に一人でもできるっていう自信を身に付けていきました。
― どういった経緯があって2013年にニューヨーク行きを決心したんですか?
大学の卒業旅行としてひとりでニューヨークに行ったんです。ただの観光目的だったんですけど、どこかでライブできたらやりたいなーって思ってて、なら路上ライブしかないと。最初は緊張したんですけどやり始めたら楽しくなりましたね。でも発電機が買える場所を探すのに3日かかって、すごく準備が大変で。(笑)でもずっとハーレムに住んでるおじさんが「これはホンモノのヒップホップだ」とか、「ハーレムのミュージックだ」とか言ってくれたりして。凄いテンションが上がりましたし、自信がつきましたね。あと色々な人と連絡先を交換したんですけど、ジェルジー・モネっていうシンガーさんと知り合って、後日トラックを送ったりしました。50セントが使いたがってるっていう話まであったんですけど、結局なくなっちゃいましたね。もっとハーコーなのが欲しいとか言われて。(笑)
― 動画を公開してからの反響は大きかったですか?
大きかったですね。イベント出演の話とかも来て。それまではヒップホップとかビートメイカー界隈の人たちの知り合いが多かったんですけど、東京のバンド界隈というか、インディーズ・ロックの人たちとかが動画を見てくれて、そこから結構広がっていきましたね。今回のアルバムをSPACE SHOWER MUSICから出すという話も、その頃知り合ったバンド界隈の人たちの繋がりなんです。今回参加してもらっているAlfred Beach Sandalさんとかもそうで。あの動画はただ自分の思い出のために作っただけだったんで、大きな反響があってビックリしました。



STUTSのビジョンを具現化した、デビュー・アルバム『Pushin’』
― アルバム『Pushin’』も、J-WAVEで「夜を使いはたして feat. PUNPEE」が大プッシュされており、ヒップホップ・リスナー以外の層も巻き込んで話題になっています。アルバムはどういう部分にこだわりました?
これまで自分が関わった作品のなかでは初めて自分が本当にしたいことができたなって思ってます。全体的な話で言うと音質とアルバム全体の流れには特にこだわりました。ミックスを自分の部屋でラフな段階までやって、その後にスタジオを借りてちょっと高級なアナログの機材とか使わせてもらって。今回は真空管コンプとか、サミングアンプといった機材を試してみたくて。ボーカルの調整をして貰ったAZZURROさんや、マスタリングをしてくれた熊野功雄さんのお陰もあって、普段自宅で完結してる時よりも良い音質になったと思います。
曲単位でいうと「Shadow feat. jjj, Kid Fresino & DJ Scratch Nice」は結構工夫したんです。生楽器の演奏を取り入れてみました。トライアングルとか、シェイカー、あとギターを弾いてます。といってもコードはそんなに分からなくて、ただ「こんな感じかな?」って鳴らしたのを自分でサンプリングして。トラックの原型としてはアルバムのなかで一番最後に出来た曲なんです。今後もサンプリングは主体にしつつ、生演奏も取り入れて可能性を広げていけたらなと。シンセは結構どの曲でも弾いてますけど。
― 生演奏でいうと、「Called Game feat. K.Lee & 呂布カルマ」や、「Poolside」のドラムは生身のドラマーが叩いていると言われても全く疑わないほどの演奏感がありますね。
2013年ぐらいにカリーム・リギンズが渋谷のVISIONでライブをやったんですけど、そのときカリーム・リギンズが自分のビートの上ネタを流しながらドラムを叩いていて。それが凄く良くて、こういう方法で自分もライブをやればいいんだって思ったんですよ。それからは、なるべく生っぽいドラムを叩けるように練習しましたね。特に「Poolside」は、ドラム部分に関してはMPCの生演奏をそのまま録音しました。SP-404で上ネタを流して、MPCで生っぽいドラム・パターンを叩くってことを最近のライブではよくやってます。MPCのみでパフォーマンスしてる曲も結構あるんですけど。
― 実際にドラムは叩けます?
叩けないです。(笑)
― 今回のアルバムに入っているトラックは、全曲リアルタイムでパッド演奏しているわけではないですよね?
違いますね。叩いてるのは4曲です。CDのクレジットに「performed by STUTS with MPC 1000」って書いてある曲がそうです。(「Introduction -Pushin’-」、「Renaissance Beat」、「Pushin’」、「Poolside」)
― 「Sail Away feat. Alfred Beach Sandal」は7インチ・シングルとして6/10にリリースされます。メロウでジャジーなトラックが最高ですね。
ピアノは昔のブラジルの曲をサンプリングしているんですけど、ホーンの音とかその他の音など、4、5曲から音ネタを引っ張ってきて作ったトラックですね。ホーンの使い方はちょっと90年代っぽいかもしれないです。ベースは元ネタに入っているベース音を切って、自分で弾き直してます。このトラックにはインディー・ロック系というか、R&Bっぽくないシンガーさんが歌ったら絶対面白いなって思いついて、Alfred Beach Sandalさんにお願いしました。
― B面に収録される「Cosmic Journey」は打って変わって、80sファンクっぽいインスト曲です。
この曲に関してはドラムは単音を打ち込むのではなく、ドラム・ループをいくつか重ねて使ってます。とある曲のキーボードのコードをサンプリングして、ピッチを変えてパッドにアサインしたのを自分で弾いて、それに合う音を違う曲から持ってきて。シンセは自分で弾いてます。
― STUTSさんのシンセ使いは、生打ち感のあるドラムと同じくSTUTSビーツの醍醐味と言えますね。シンセの演奏に関して、影響を受けた人はいます?
ドクター・ドレーとかGファンクも結構聴いていたので、「Cosmic Journey」もそうですが、自分が弾くシンセのフレーズにはその影響が出てるんじゃないかなって自分で思います。あとはスティービー・ワンダーの暖かい感じのシンセとか凄い憧れましたね。
― STUTSさんは、完璧主義者ですか?
ああでも、ドラムループの波形を細かく合わせたりとかずっとしてますね。「Sail Away」はネタとベースがちゃんと合うように一音一音をサンプルの頭に合わせたりっていう作業が結構大変で。トラックの原型は3、4時間ぐらいで出来るんですけど、そこから結構寝かせて、何回も聞き直して展開考えたりするんで、わりと1曲作るのに時間はかかってますね。


― 勢いとインスピレーションでどんどんビートを作ってくタイプのビートメイカーも多いですが、正反対ですね。
いわゆるビート・シーンの人たちはどっちかっていうとラフに作って発表するっていうケースも多いですよね。そういうシーンとは自分は向いてる方向がちょっと違うのかもしれません。ラフに作ったビートにしか出ない格好良さもありますし、すごく好きなアーティスト、作品もいっぱいあるんですけど、自分は1曲1曲じっくり作りこんだ作品にしたいという気持ちが強いですね。
― 日本のビート・シーンとヒップホップ・シーンは交差する部分もあると思いますが、ちょっと溝がありますよね。ラップ・イベントにはラップ好きばかりが集まって、ビート・イベントにはビート好きばかりが集まる。STUTSさんはどちらかというとビート・シーンに深く関わっているという認識はないんですね?
むしろ中立でいたいというか。ひとつのシーンに属したいとは思わないですね。ビートシーンのイベントでもバンドのイベントでも別け隔てなく出たいです。でもヒップホップのアーティストであるという気持ちはずっと変わらないと思います。
― ダンサーとのコラボも結構やってますが、ダンサー周りのイベントにもまたヒップホップやビート・シーンと違うシーンありますよね。
更に違うところにある感じがしますね。それぞれのシーンが独立しているからこそ研ぎ澄まされていくのかなって思う部分もあるけど、そういうのが交わるところがもっとあってもいいのかなとも思います。
― 今後の目標は?
人からの評価もすごく嬉しいのですが、何よりも、初めて自分にとってある程度納得がいく作品をひとつ完成させることができたということ自体が、どんな評価よりも嬉しかったのかもしれません。出来あがったのを聞いた時は涙が止まらなくなりました。だから今後も音楽を作っていく中でそういう経験がひとつでも多くできたらいいなって思います。
Words & photos by Danny Masao Winston