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tha BOSSは、THA BLUE HERB/ザ・ブルー・ハーブのMCとして多くのファンをひきつけてきた
盟友O.N.Oのサウンドをバックに、THA BLUE HERBのMCとしてひたすら歩み続けた約18年のキャリアを通じ札幌から全国へ、そしてまたジャンルを超え、そのカリスマ性で多くのファンをひきつけてきたtha BOSS。彼がソロとして今、初のアルバムを放つ。『IN THE NAME OF HIPHOP』と題されたそのファースト・ソロは、B.I.G. JOE、DJ KRUSH、DJ YASといった旧知の友からOlive OilやYOU THE ROCK★にgrooveman Spot、HIMUKI、田我流、YUKSTA-ILL、PUNPEE……と世代や地域を越えた面々をプロデュース/客演に招いた一作。昨年暮れに発表した般若、grooveman Spotとの楽曲「NEW YEAR’S DAY」をいわば青写真に走り出したという本作では、グループ作でこれまで成し得なかった様々な交流を全15曲に結実させている。3.11以降の世界と向き合い、ポジティヴに鼓舞したTHA BLUE HERBの目下の最新作『TOTAL』(2012年)を経て、今回、自らの少年期から駆け出しのラッパー時代、かつての札幌シーンといった過去にペンが及んだのもソロ・アルバムなればこそであり、彼もまた一日にしてtha BOSSになったわけではないことを身をもって示すものといえよう。本作のリリースに際し、ここではヒップホップの名のもとに成し得た、いわば本作の裏テーマともいうべきtha BOSSのヒップホップ観も語られることとなる。12月からはTHA BLUE HERBでのツアーが予定される彼とグループの今後に、本作がどのような影を落としていくかにも興味は尽きない。
―― 今回、最新作となる初のソロ・アルバムのリリースに至ったそもそもきっかけを聞かせてください。
『TOTAL』で俺とO.N.Oの中でのひとつの頂点を極めちゃった感があったから、次はO.N.O以外のトラックメイカーとやる時が来たのかなって予感めいたことを思ってて。まあ俺も44歳だから、ここら辺でパーソナルなソロ・アルバムを作ってみたいっていうのもあったし、いろんな人と作ってみようと思ったのには、頭の中でマンネリに囚われたくないっていう気持ちがあったかもしれないね。
―― 初の共作となるラッパー/トラックメイカーとの楽曲を中心としたこれまでとは違う制作に、どんな気持ちで向かいましたか?
今回は年齢的には下のアーティストともやってるけど、友達として接してる人ばかり。みんなプロップスでありリスペクトっていうヒップホッパーしかわからない価値観を間に挟んだやりとりだから、メンツもあるしプライドもあるし、五分と五分だよね。でも、一人一人とのやりとりをちゃんと尊敬を間にできているかどうか毎日すごく考えて一緒に作業した。
―― 実際の曲作りの面ではいかがでした?
O.N.Oだから一緒にやってくれてるんだろうなっていう所謂THA BLUE HERBのクオリティの世界で、今回参加してくれたビートメイカーも俺が求めたレベルの話に最後まで付き合ってくれて、みんなに感謝してる。ラッパーに関しては、それぞれスタイルのある人達だから思い切ってぶつかっていけたね。
THA BLUE HERB/ザ・ブルー・ハーブであろうがソロであろうが、参加アーティストが誰であろうと変わんない
―― 『TOTAL』には3.11以降の状況と闘うリスタート的な強い意志が反映されていましたが、未来に向けて鼓舞する姿勢は本作でも随所に見られますね。
それは俺の中の思想の問題だね、純粋に。俺の中から出てくるものだから、THA BLUE HERBであろうがソロであろうが、参加してるアーティストが誰であろうとそこは変わんない。
―― なおかつ、“始めちまった以上終わりは来る”という一節で始まる幕開けの「HELL-O MY NAME IS…」や、“咲き誇り結局は枯れてく/だけど諦めてるじゃなく先駆けてく”と歌う「I PAY BACK」、そして“ラッパー稼業の総仕上げ/これは落とし前でもあり置き土産”と歌う「BLOODY INK」……とアルバム冒頭から未来のその先も見すえた視線を感じました。
それはヒップホップのキャリアとしてどうこうってより、人はいつか死ぬからねっていうだけの話。それ以上の意味はないし、いつだって集大成のつもりでやってるからね。特にソロっていう意味では今回は自分が小さい頃の話も入れたし、18年間で出会った人達一人一人との邂逅に決着をつけに行ったんだ。

―― かつて曲でディスしたこともあったYOU THE ROCK★さんとの共演「44 YEARS OLD」は、まさに今おっしゃった決着のひとつとして、過去を消化したものですよね。
本当にそうだね。俺もYOUとシノギを削って自分のシノギを作ってきたし、YOUに限らずその当時シーン最前線と呼ばれていたアーティストをどかせてここまでメシ食ってきた。YOUに関してはタメだし、これまでもちょくちょく顔を合わせていろんな話をしてるうちにだんだんYOUのことを知って、あいつも俺のことを知ってくれて、YOU THE ROCK★っていう人間に対して俺がやったことをここではっきり修復じゃないけど、もう一回ユナイトできる場所を俺自身が作りたかったんだよね。誰かが俺とYOUを呼んで一緒に曲やるとかじゃなく。
―― この曲は期せずして先頃亡くなったD.Lさんの追悼イヴェントの日に東京でレコーディングされたそうですが。
しかもこの曲のビート作ってるのは(DJ)YASで、エンジニアはTSUTCHIE君で、要するにみんなさんピンの時代の人達なわけよ。で、みんなレコーディングが終わった後に(D.L追悼イヴェントに)行ったんだけど、俺は行かなかったのね。当時俺は(シーンの)外の人間で、そこは当時その中にいた人達の大事な場所だからさ。で、次の日、みんなすごく合唱してて当時の熱がそこにあったって話をスタジオで聞いて。さんピン時代や俺らが出てきた時代にヒップホップ聴いてた人は、俺らのライヴ会場や見える場所から少しずつ減っていくのが普通だけど、それでもやっぱりこの国のどっかで生きてるんだっていう思いを強くしたから、そういう人達に対して、ヒップホップやり続けたらこういうこともある、時間はかかったけど悲惨な終わり方はしなかったっていうのを投げかけたかった。若いリスナーにはよくわからないかもしれないけど、俺の中でどうしてもやらなくてはならない事もあるよね。
―― 逆に言えば、時を経て今YOUさんとつながれたのもヒップホップがあってこそのことだし、本作におけるひとつひとつの交流もヒップホップがもたらす縁の先にあるとも言えるわけで。
そうとしか言いようがないね。俺で言うとヒップホップのメンタリティも一部になるくらい、いろんな音楽に自分は救われて、導かれてここまで生きてるんだけど、人との付き合い方、自分のレプリゼントの仕方、生きていく姿勢の根底にあるのはヒップホップだから。要するにパンクでもレゲエでも同じだと思うんだけど、カウンター・カルチャーっていうかさ、媚びねえで自分の意見を通す、自分を誇って生きていくっていうことだよね。そのヒップホップを知って、BOSSって呼ばれて今日までずっと生きてるんだけど、そのアダ名とヒップホップ・マナーがあったから俺もすごく変わったと思う。今もたかだか44歳だけど、昔の俺なんてこすっからいケチな野郎だったよ。でも、BOSSって名前で人が知ってる以上、汚ねえ真似はできねえし、ヒップホップ・マナーに背は向けられない。そういう考えに変わると自ずとちゃんとしようってなるよね。
tha-BOSSが語る、THA BLUE HERB/ザ・ブルー・ハーブ、初期のシーンとの対決姿勢
―― その中で、初期のTHA BLUE HERBでBOSSさんが大きなモチベーションとしていたシーンとの対決姿勢が、作品を追うごとに後退していくのも当然かもしれませんね。
中指立ててツバ吐いて出てきたのが段々周りとリンクし始める方向に向いてって今回に至ったのが、周りから見れば変化に取られると思うんだけど、俺は1997年頃になんであんなことやったかって言ったら、なめられたくなかったんだよ、俺自身も俺のヒップホップも、札幌も。でも、要は俺がサシの付き合いを求めてただけの話で、俺らのヒップホップや札幌を認めてくれた人達も東京にたくさんいてくれたよ。YASとかロバート(DJ QUIETSTORM)なんてその中でも一番早かったし、(DJ)KENSEIさんとか、もちろん(DJ)KRUSHさんもそうだけど、そこからラッパーとも知り合っていったらもういちいちツバ吐かないよ。「理解してくれてありがとう」って言って逆に相手のことも知ろうとするし、それで自然な形で友達が増えてこのアルバムまでたどり着いたわけでもあるしさ。
―― つまりかつての反骨精神は今のBOSSさんには必要がないと。
俺を削ってくる人がいて、そいつが俺が昔みたいに全てを捨ててでも闘わなくてはならないならもちろんどっちかが消えるまでやるぜ。でも、今そう言われて気付いたけど、日本のヒップホップの道はこっちだよ。和を以って尊しとなす、それが日本人の進む道だと俺は思う。1997年の俺が東京のヒップホップ、日本のヒップホップに反骨精神を向けたのは、どん底からの上昇志向だったんだよ。それでもやっぱり曲を作りたいっていう欲があるから、このアルバムにたどり着いた。反骨精神で何かを槍玉にあげるのって俺にしてみれば簡単なんだよ。誰にでもできるっちゅうか、ヒップホップやカウンター・ミュージックの入り口でしかない。俺が今したいのはその先の話だ。
―― BOSSさんの表現する音楽はもうそのレベルにないということですね。
何度も言うけど、やる時はやる。例えばパブリック・エネミーにしろ、本家(USのヒップホップ)は階級であり、生まれであり、人種差別への反骨精神を持ってここまで大きくなってる。でも、俺らは日本人で階級も人種差別もそれほどない。俺は正直向こうの黒人とかみたいなゲットーの生まれじゃないし、奴隷の子孫でもないし。そういう人間がヒップホップを知って、じゃあ敵を探してそれが全てなのかって言ったら、そうじゃないよね。敵がいないと成り立たないアートなんだったら、日本人は誰もヒップホップなんてできないよ。今回、ビートメイカー14人+ラッパー6人と曲を作るってなった時にも、反骨精神の塊みたいな奴らばかりでユニティをチョイスする方が逆に難しいし、反骨精神とユニティって相容れないものかっていうと、俺は実はそうも思ってなくて。
―― ふと口に上るラインにとどめた政治的なトピックに、闘う姿勢がそれほど表れてないのも、そのあたりの意識の違いに通じるんでしょうか?
そうか? よく聴いたか? それほど表れてないか? 俺は表してるつもりだよ。ただ、それだけを言ってるわけではないけどね。もちろん俺の生活の中にも世の中に対する憤りもあるよ、政治だとか、原発のことだとか。ただ、俺は原発反対だけど、原発推進する人間を敵かと思うと、そうは思わない。敵と味方、賛成と反対だけでわけて終わっちゃう議論ってどうなのかなっていつも思うわけ。だってふたつにわけるだけじゃ何も進まないじゃん。ブラック・ミュージックもそれだけだった?って感じじゃない? そうじゃないよね、はっきり言って。マーヴィン・ゲイにしたってダニー・ハサウェイにしたって、スライやザップにしたって、反骨精神を大きく包みこむ調和でありユニティのフィーリングに価値があると思うし、俺がブラック・ミュージックに学んだのはそっちだから。

tha BOSS自身が語る、正統性をもったヒップホップ・アルバム
―― 今の話とリンクするかわかりませんが、「I PAY BACK」では“初期衝動なんてものもうないよ”と言っています。
うん。あの頃、20代の初期衝動もないし、敵も、憎んでる相手もいない。自分がまずどういう人間か認めさせるために通らなきゃ行けない道があって、その段階でいろんなモメごとが起きるんだけど、それはしょせんイントロダクションだよ。俺はそういうふうに出てきた人間だからこそ、逆にそこを取り除いて仲良くなった人達とは死ぬまで笑っていたいね。
―― 「SEE EVIL, LISTEN EVIL, SPEAK NO EVIL」でも“ビーフってやつはほとんどが/名前売りたい駆け出しラッパー達の余興さ”と言っています。
自分が本気になった時のえげつなさと怖さとずるさ、人を貶めることに対する頭の良さを自分が一番よく知ってるから、出来ればもうやりたくないんだそういうことは。
―― ともあれ、いわば逆境と闘うことで自ずと3.11以降とリンクした『TOTAL』に対して、ヒップホップに軸足を置くことでフラットにご自身のこれまでとこれからも映したのが本作で、その延長に様々なメンツとの共演があるのかなと。
まあそうだね。それがヒップホップの核心だってこともやっと言えたのかもしれない。それが正解、正論なのかわからないけどね。前回(『TOTAL』)、前々回(『LIFE STORY』)は人生で色々転機が訪れたけど、今回、ヒップホップはユニティ、最終的にはここでしょっていうところに到達できた。でも、俺は毎日そうやって生きてるよ。『TOTAL』だって、『LIFE STORY』だってユニティだったと思うし、ずーっとそう。その大元が何なのかっていう答えがヒップホップなんだなっていうのがやっと今回できただけでさ。
―― BOSSさん自身が本作を「正統性をもったヒップホップ・アルバム」と語るゆえんはそこですよね。改めて、初のソロ・アルバムを完成させた今の気持ちを聞かせてもらえますか?
今まで他のラッパーは招かずに全部自分ひとりのラップだけで1曲を完結させてきて、ライヴもそれなりの数やってきて、今回また16曲書けたって事実に俺自身が上がってる。回り出すまでは時間がかかるけど、作詞も実はやればやるほどよくなっていくし、書けるようになって、アルバム制作の最後の段階でいくらでも曲書けるっていうところまで行くんだけど、今回もとめどなく(歌詞が)出るゾーンまで行けたから。
―― BOSSさんが曲作りの苦しみをそのまま曲にしたのも今や昔で、キャリアの跡、成熟があっての本作なわけですね。
まあ、ここに来るまでいろいろあったからもちろん自信を持ってるけど、でも、まだ44歳でしょ。やっと半分来た段階で、若いMCがやっとソロ・アルバムを出したんだよって感じで俺は思ってるよ。ここから先があるし、世の中の需要がどうのとかっていう中でしか生きられない雇われラッパーじゃなくて自主制作のラッパーだから、別にずーっと作品を発表することができるしね。
―― それこそ“荷物を降ろすのはここじゃない”(「MATCHSTICK SPIT」)と。
そう思ってる。明日のことはわからないけどね。
Words by Hiroyuki Ichinoki Photos by Susie