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音楽活動を通して、久保田利伸が出会ってきたアーティストたち
今年デビュー30周年を迎えた久保田利伸。その大きな節目を記念した特別企画第1弾として久保田利伸の国内オリジナル・アルバム13作品が完全生産限定のアナログで12月にリリースされる。そして特別企画第2弾としては、コラボレーションに焦点を絞ったベストアルバム、『THE BADDEST ~Collaboration~』が11月23日に店頭に並ぶ。
コラボレーションはアーティストのクリエイティビティを刺激し、音楽性を洗練させる。1985年にソングライターとして業界に入り、1986年にシングル「失意のダウンタウン」でメジャー・デビューを果たして以来、久保田利伸は非常に多くのシンガーやラッパー、ミュージシャン、ソングライター、プロデューサーたちと共作し、自身の感性を磨き、進化を遂げてきた。
これまでリリースされた国内アルバム13枚(『Parallel World』シリーズを含むと15枚)と、Toshi Kubota名義でリリースされた北米アルバム3枚を聴き返すと、久保田利伸は自分らしさを根幹に保ちながら、アメリカのブラック・ポップ・ミュージックの変化に呼応し、久保田サウンドを常に更新し続けてきたことがわかるが、それはアメリカや日本のトップ・クリエイターたちと多くの時間をスタジオで過ごし、切磋琢磨を続けてきた証拠だろう。
『THE BADDEST ~Collaboration~』のトラックリストを見てみると、そこにはモス・デフ(ヤシーン・ベイ)、アンジー・ストーン、ザ・ルーツ、ミュージック・ソウルチャイルド、ラファエル・サディーク、ドゥウェイン・ウィギンス、ナイル・ロジャース、ジョージ・クリントン、ブーツィー・コリンズ、メイシオ・パーカー…なんとも豪華なメンバーが名を連ねる。
久保田利伸が日本のポピュラー音楽界にブラック・ミュージックのグルーヴを浸透させたひとりであり、ファンクやソウルをベースにした音楽で日本の業界でも成功できることを提示した人物であることは、今更語り直す必要はないだろう。むしろ、日本における先駆者としての功績をいったん忘れたとしても、いちR&Bアーティストとして、これだけトップクラスの才能に認められ共に作品づくりを行ってきたという事実が、彼が稀有な存在であることを物語っている。
そんな久保田利伸にインタビューを敢行した。時間の都合上用意していた全ての質問は聞けなかったが、トニートニートニーの功績、ネオソウル・ムーヴメントの必然性、Jディラのグルーヴの中毒性、ジョージ・クリントンとの濃厚なレコーディング、デビュー当時の日本におけるブラック・ミュージックの扱われ方、そしてプリンスに受けた影響など、たっぷりと貴重な話を聞くことができた。

トニー・トニー・トニーが音楽界において果たしたこと
—— 今回のベストアルバムに収録されたコラボ曲は、どういった基準で選んだのですか?
時代が変わっても価値観が変わらない存在の人たちを選びました。ラッパーや歌い手でもプレイヤーでも、そういう人たちを重視して考えましたね。価値観というのは、世間的な価値観もだけど、特に自分から見て。僕のなかで「やっぱり凄いな、重要な人だな」っていう人たちは当然選ばれています。
—— トニートニートニーのドゥウェイン・ウィギンスがプロデュースした「Nice & EZ」(『SUNSHINE, MOONLIGHT』 1995年)と、ラファエル・サディークが手がけた「Pu Pu」(『Nothing But Your Love』 2000年)が収録されています。トニートニートニーは久保田さんと同じ時代に登場したアーティストですし、音楽的な進化の仕方にも久保田さんと近いものを感じます。彼らが最初に出てきたとき、久保田さんは彼らのことをどう見てました?
実は、一番始めはあまり面白いと思ってなくて。もちろんR&B、ソウルに根ざした音楽はどれも好きなので興味を持って聴きましたけど。最初に聴いたのは丁度LAでレコーディングをしている頃だったんですよ。僕がデビューして1、2年目くらいですかね。LAのラジオでよくかかってたんです。後々、こんなに気の合う人たちになるとは思わないくらい、始めは「まぁ、勢いのある人たち」くらいにしか考えてなくて。
2枚目『The Revival』と3枚目の『Sons of Soul』を聴いたときに、非常に肌に合うって感じたんですよ。聴いてきたものが同じなんだなぁっていうのはすごく感じたし、現在好きなものも同じなんだろうなって。音の作り方やこだわりの面でも、“ヒップホップ時代の荒削りなDJ的なもの+生バンドのワイルドさ”が両方好きで作ってる感じが、僕と趣味が合うなと。
—— トニートニートニーが残した4枚のアルバムはどうR&Bを変えたと思いますか?
R&B、特にあの時代のR&Bって、スロージャム以外は遊び場とダンスフロアからどんどん生まれていて、みんなが共有するものだったんですよ。そこに根ざしたもので。そうなると好きな人は好きだけど、興味がない人はあまり聴かない、みたいな。トニートニートニーの場合はひとつもふたつも枠を越えて、R&Bを聴かない人でもなんか聴きたくなる音楽を作っていて。R&Bの価値が少し広がったんですよね。
特に僕にとっては、超オールドスクールからToday’s R&Bまで、何をやってもいいんだっていう、枠にとらわれない、時代に迎合しすぎないR&Bの作り方に刺激を受けました。アメリカのレコード会社の人って、その時代に一番流行っているプロデューサーと一緒に組んで作らせるというやり方が主流なんですけども、トニートニートニーの場合はそれにちょっと反抗しているというか。「こうやればヒットチャートに上がる」という単純な作り方があるんだけど、彼らはそうじゃないのに、巷では人気があって。そういうメッセージをしてくれたような気がしますね。型にはまったTOP 40的R&Bだけじゃなくてもいいんだよって。R&Bの枠を広げてくれた気がする。
—— ラファエル・サディークは歌い手としてもプロデューサーとしても才人というイメージがあるのですが、ドゥウェイン・ウィギンスはどういう方なのかイメージがあまり湧かないです。どういう雰囲気の方でした?
ドゥウェインのほうが、もっとエブリデー・ピーポーですね。普通に話しやすいし。アマチュア・バンドのギター弾きがそのままの感覚でプロとして存在してる、っていう感じの普通感。そのぶん、あったかいし、気軽に接することができる。キャロン・ウィーラーとの「Just The Two Of Us」のビデオをLAで撮るときも、曲に携わっていないけどドゥウェインに友情出演してくれないかって軽く言ったら、軽く来てくれて。ラファエルだったら多分来てくれないですよね。ラファエルの場合は一癖も二癖もあって。そのぶん、音楽はエッジが効いてる。
—— アルバム『Nothing But Your Love』のライナノーツによると、「Pu Pu」のオケ作りはたった5時間くらいでできたそうですね。ラファエルはどんな制作の仕方をする人でしたか?
作り方としてはオールドスクールな作り方ですかね。昔のミュージシャンの作り方。使ってるものはもちろんイマドキのもので、あのときはまだMPCかLinn Drumか何かだったんですけど、それをちょっと触ってみたり。疲れたんで「チャイニーズの出前とろうぜ」って言ってみたり。で、今まで打ち込んでいたものの続きをちょっとやって、ベースを弾いてみたり。ちょっと休んで、全然関係ないセクションのギターを弾いてみたり。「ちょっと仮歌のっけてくれよ」って言って僕に歌わせてる間に、バイク乗ってどっか行っちゃったりとか(笑)。5時間ていうのはちょっと短すぎで、実際には2日くらいに作業が及んだんですけど、でも不思議なことに気がついたら素敵な曲ができてるんですよ。
今ってわりと、集中してコンピューターとかMPCとか1個のなかでDJ風に作り上げちゃう人もいるんですが、彼は違ってて。もしかしたら西海岸の作り方かもしれない。あったかいところだし、ちょっとオールドスクールで。ニューヨークのプロデューサーはせっかちなんですよ。ワーって作っちゃったら、そっから先の変更は苦手だし。不器用なんだけども集中力はある。ラファエルは集中力というよりは、なんでもできるから「どんな方法もある」って思っちゃうんでしょね。だからあせらない。

「(ネオソウルについて)オールドスクール・ソウルの持ってる脂っこさとか、良い匂い、生っぽさが聴きたい人がいっぱいいたんじゃないかな。ヒップホップ世代が作るソウル・ミュージック」 ―久保田利伸
久保田利伸のアルバム作りに大きく貢献したアンジー・ストーン
—— 「Pu Pu」を制作しているときに歌詞で行き詰まって、アンジー・ストーンを呼んで作詞を手伝ってもらったそうですね。
僕とラファエルで歌詞を作ろうとしたんですが、僕もラファエルもリリック・ピーポーじゃなくてミュージック・ピーポーなんですよ。特に僕の場合は英語が母国語じゃないですから、ひとりでは書ききれない。プロデューサーなり作詞家なりの助けが必要なんですけども、途中で歌詞を書くのに行き詰まっちゃって。アンジーを急遽呼んだら、大陸の反対側まで来てくれましたね。
—— アンジー・ストーンとはその後、アルバム『TIME TO SHARE』(2004年)で何曲も共作しています。アンジーとのデュエット「Hold Me Down」が今回収録されていますが、パフォーマンスや発音の指導までしてくれたそうですね。面倒見の良い方なのですか?
彼女はわりとキャリアがある人なんで、僕に対してだけではなく、ニューヨークを中心に、ネオソウルっぽいのを歌いたいっていう人をわりと頻繁に手伝ってますね。時間にはものすごくルーズなので、ゆったり考えないと仕事ができないんですが、やろうと約束すれば一日遅れでもスタジオに参加してくれる。
才能はあるんで、さぁやろうと本腰を入れれば、あとは僕が横から良い、悪いの物言いをするだけで。集中して歌詞を書いてくれるし、ソウル歌いの指導もしてくれる。僕、発音矯正が必要なんですよ。どうしても日本語のなまりが強いから。なまっててもいいんですけど、可愛いなまりとファニーななまりってありますよね。その判断が僕にはつかないので、「こういう風に歌っとけば、日本語なまりが逆にキャッチーだ」みたいな、その判断をしてもらって。無料でバックコーラスも入れてくれるし。優しいです。でも時間にルーズです(笑)。
—— アンジー・ストーン、ラファエル・サディーク、ザ・ルーツなど、ネオソウル・サウンドを確立した人たちと多くコラボしていますが、この時代のサウンドは現在も人気ですし、いつ聴いても色褪せないと思います。今、この時代のネオソウルを振り返ると、どういうムーヴメントだったと思いますか?
特にあの時代、必要だったんだろうなって思います。簡単に打ち込まれたR&Bと、勢いの物凄くあるヒップホップが主流で、そんななかオールドスクール・ソウルの持ってる脂っこさとか、良い匂い、生っぽさが聴きたい人がいっぱいいたんじゃないかな。ヒップホップ世代が作るソウル・ミュージック。それも、生感のある。そして聴きたい人=演じる人。いちリスナーであった人があるときデビューするので。そうやって最終的にミュージック(・ソウルチャイルド)がデビューしていくし。ディアンジェロもマックスウェルもドゥウェレなんかも、オールドスクールが好きなんだけれど、自分が暮らしてる環境はヒップホップ。そういうなかで自然にできていったものな気がします。
ザ・ルーツとの出会いで、久保田利伸が見たもの
—— 今作には『Nothing But Your Love』のためにザ・ルーツがプロデュースした「Masquerade」と「Till She Comes」が収録されています。ザ・ルーツとの出会いのきっかけは何だったのですか?
『Nothing But Your Love』を作ろうとする準備の段階のときに、ルーツの当時のマネージャーで、もう亡くなっちゃったリッチ・ニコルスが僕の話をどこかで聞いたらしくて。「俺のバンドのルーツが、今フィラデルフィアに住んでるんだけど、ハーレムにひと部屋借りてプリプロをよくやってるから遊びに来いよ」って言ってくれたんです。行ってみるとスタジオでもなんでもない、ハーレムの一角にあるアパートで。ドラムセットやローズピアノが置いてあって、メンバーが寝るベッドが適当に散らかってるみたいなところで。彼らと一緒に曲を作って遊んだりしましたね。彼らはニューヨークじゃなくてフィラデルフィア出身なんで、やっぱりあったかいんですよね。都会の人じゃないから、なんか居心地良いなって思って。
クエストラブはアンジーみたいに面倒見の良いやつで。あいつも時間にルーズなんだけど、「なんとかしてあげよう」っていう気持ちが強いやつなんです。これからブレイクしたいとか、どうやったら上手くいくんだろう?って思ってるやつらをなんとか広めようとしてくれます。頼れるやつなんで、いまだに中心人物ですよね、ヒップホップ界では。
—— そのときに「Masquerade」などの曲ができたのですか?
「Masquerade」はその後だったんですが、「Till She Comes」の原型はそのとき作ってますね。その後しばらくしてから、フィラデルフィアに昔からあるSigma Soundっていう、ルーツがずっと使ってたスタジオで「Till She Comes」とかを完成させました。懐かしいなぁ、この話。
—— クエストラブにはどういう印象を受けました?彼はすごくこだわりの強い、オタク気質な方なのかなって勝手に思っています。
一言で表現できないんですけど、多分思ってるとおりです。気難しくはないです。でも音楽と言うものに対して本気で。「音楽があるから俺らはちゃんとやっていけているんだぞ」っていう、ブラック・コミュニティーの意識改革も含めて、そういう信念を持ってる人で。音楽を物凄く大事にしているし、音楽を志すやつはとことんサポートするし、どうやって広めていこうかって毎日考えてる。
同世代も、これから始めようとするやつもサポートするけど、凄いなと思うのは、上の世代もサポートするんですよ。僕もその後、フィラデルフィアでストリングスを入れることが増えていったんですけども、それも彼が昔のフィリーサウンドを支えたアレンジャー、ラリー・ゴールドを紹介してくれたからで。クエストラブは僕だけじゃなくて、ラリー・ゴールドを色んな人に紹介していました。だから一時期、ラリー・ゴールド・ストリングスが物凄く流行ったんですよ。みんな、あの古い荒削りの音を求めて。
ラリー・ゴールドのスタジオは広い土地にあって、古い大きな倉庫を使ってるんですけど、そこに部屋がいっぱいあって。ひと部屋まるごとクエストラブのレコードルームになってましたね。昔からずっと音楽オタクなんです、やつは。だからオールドスクールも大事にするし。

「(Jディラのビートについて)一回ハマっちゃうと、すごいですねあれは。後々、ハマりすぎちゃって大変なことになります」 ―久保田利伸
久保田利伸の楽曲を先鋭的に崩した、Jディラ
—— 今回のベスト・アルバムには収録されていないですけど、2000年にリリースされた「Nothing But Your Love」のシングルには、Jディラ(ジェイ・ディー)のリミックスが入っていました。これはクエストラブ経由で実現したのでしょうか?
ルーツのマネージャー、リッチ(・ニコルス)かもしれないですね。リミックスって、何個も作ったりするんですよ。そのなかで、「ジェイ・ディーに振ってみようか」ってリッチが言ったのかもしれない。で、上がってきたものを聴いたときは、まだJディラのヨレたグルーヴというものに体が馴染んでいない頃だったので、ビックリしました(笑)。ゲロゲロなので。失敗してるんじゃないかっていうリズム感で。後々それが中毒的なグルーヴになるんですけど、すごい衝撃だった。
ニューヨークの僕のスタジオで、クエストラブと一緒に聴いたんですけど、「これどうすりゃいいんだよクエストラブ?」って言って。「お前、まだわかんねぇか」って言われましたね。「これはジェイ・ディーしか作れないんだよ。実は俺も生ドラムでこれをやろうとしてるんだけど、できないんだ」って。
ドラマーが簡単にできるものじゃないんですよね。スネアとハイハットとキックのタイミングをそれぞれずらしてしまうので。思い起こしてみると、「Masquerade」のリズム録りをしてるとき、クエストラブがものすごくキックをずらして打ってたんですよ。「気持ち悪いよ」って言ったら、「そうだよな。俺も困ってるんだよ」って。やろうとしてたんですよね、ずっと。馴染み方がまだわからなかったんだけど、生まれる全体のグルーヴは物凄くかっこいい。一個一個の楽器をとると気持ち悪いんだけど。一回ハマっちゃうと、すごいですねあれは。後々、ハマりすぎちゃって大変なことになります(笑)。
でもそれから数年して、フィラデルフィアのA Touch of Jazzっていうプロデューサー・チーム出身のアイヴァン&カーヴィンっていうふたり組がミュージック(・ソウルチャイルド)のプロデュースをやってるんですけど、やっぱりグルーヴが少しヨレてるんですよね。「ジェイ・ディーみたいにやりたい。どうやったらできるんだろう?」ってみんなが研究してましたね。
「(ミュージック・ソウルチャイルドについて)ソウル愛に裏付けられた“味”がミュージックにはあるんです」 ―久保田利伸
久保田利伸が惚れ込んだ、ミュージック・ソウルチャイルドの歌声
—— 今作にはミュージック・ソウルチャイルドとのデュエットが新録されていますけど、久保田さんは彼のことをここ10年で一番上手いシンガーだとベタ褒めしていますね。彼の上手さはどういうところに感じます?
声が良く出るとか、音程感が良いとか、そういう上手さはもちろん兼ね備えているんだけど、僕にとっては、ブライアン・マックナイトとか、エリック・ベネイとか、いわゆる世間で上手いと言われる男性シンガーのようなまっすぐな上手さじゃなくて、ソウル愛に裏付けられた“味”がミュージックにはあるんです。スキル的な上手さ以上に、味が。それと、声質。あと物凄く存在感のある声。安定感がすごくあるからどれだけ自由に歌おうが上手いんです。
何年か前にスティービー・ワンダーのトリビュートでミュージックがスティービーの「Visions」という曲を歌ったんですけど、その歌いっぷりと、ミュージックなりの崩し方に恐ろしいくらいの才能を感じて。僕はそれをよく聴いてたんですよ。僕もこういう風に歌えねぇかなぁ、真似できないかなぁって。存在感と、インプロビゼーション含めた音色の作り方。頭で考えてやるもんじゃなくて天性的なものです。
でも、こないだミュージックとセッションしたときにミュージックにその話をしたら、「実はあれは俺が考えた歌い方じゃないんだ」って言っていて。スティービーがどうやらそのときのセッションにいたらしくて、コード進行を確認するときにスティービーが適当にそうやって歌ったそうなんですね。彼はそのメロディーをずっと耳の中で覚えといて、走ってスタジオに行って歌ったらしいんです。「そうだったのか!」ってなりましたね(笑)。

—— ア・トライブ・コールド・クエストのアリ・シャヒード・ムハマドが作った「NEVA SATISFIED」(『TIME TO SHARE』 2004年)のビートは、ヨレたグルーヴがとても特徴的ですが、これはやはり…
ジェイ・ディーですね。そうなんです。「ジェイ・ディー以外であのグルーヴを作れるやつが欲しければ、アリだ」ってクエストラブが言ってましたね。彼にアリを紹介してもらったわけじゃないんだけど、「アリとやってるだろ?正解だ」って言われました。すごいグルーヴですよね、これは。このときはもうこういうグルーヴに一切の迷いはなかったので「待ってました!」っていう感じでした。トラックをアリが勝手に持ってきていて、「こんなのできたんだけど」って恐る恐るプレイしたんだけど、僕はもう喜んで歌いました。
でもすっぽりハマりすぎちゃって。ヨレたグルーヴだから、歌はここまでタメて良いっていうのがあるんですけど、そのスポットにハマって歌っちゃったので、まぁ、普通の日本の人には駄目でしたね。気持ち悪いでしょうね。タメすぎというか。グルーヴ自体もなんか、直したくなっちゃうらしいですね。そういう極端な曲です(笑)。僕は大好きなんですが。
モス・デフのサービス精神旺盛な作詞法
—— 今作にはモス・デフことヤシーン・ベイがラップで参加した「無常」(『United Flow』 2002年)と、「Living For Today」(『TIME TO SHARE』 2004年)が収録されてます。モス・デフについて久保田さんは「実にノリが合う」とコメントしてますね。彼はどういった方ですか?
良いやつですよ。ゆるくて。時間にもゆるいですけど。当時はずっとニューヨークにいたので、遊び場でも一緒になるし、お願いしたら気軽にやってくれて。気軽に現れて気軽にさようなら、みたいな。こいつのマネージメントがずっとお母さんなんですよ。ファミリーでやってる感じだからあったかいし、いろんなことに余裕があります。彼はアンダーグラウンドなこともやりますけど、僕みたいなR&Bアーティストのメロウな曲にのせるときは、人としての柔らかさとかラップスタイルの柔らかさが合うなって思いますね。あまりこだわらないゆるさがあるから、ときどきハリウッドに呼ばれて映画をやったりしてるんじゃないですかね。
—— モス・デフはこれまでDJ KRUSH、DJ HONDA、DJ DECKSTREAMなど日本のアーティストと複数回コラボしてますし、久保田さんのときもそうですけど、日本人とコラボするときはよく日本語を入れてラップします。日本好きなのでしょうか?
日本好きかもしれないけど、僕が感じたのは、彼にはサービス精神があるってことですね。「日本語で“slow down”はなんて言うんだ?」「“ゆっくり”だよ」とかっていうやりとりをスタジオでやってました。でも、クエストラブみたいにスタジオで真面目に作るっていうよりは、時間潰しで聞いてくるっていう(笑)。そういうゆるさがあるんですよね。それがラブリーなとこです。そういうノリでくるんで、僕も気軽に接することができる。
—— 「無常」のドラムプログラミングは久保田さんがやったそうですね。このときはどんな機材を使っていたんですか?
今使ってるのはCubaseなんですが、そのときはもう製造中止になっちゃったStudio Visionというシーケンサーソフトですね。それまでMPCを使ってて、MPCと似てるんですよ。MPCモードがあったりだとか。ソウル系の打ち込みで必要なスウィングモードというのもあって、MPCからコンピューターに移ったとき、これが一番やりやすかった。MPCと同じ数値で出てくるものが多かったんですよね。でも開発中止になって、今のCubaseになりました。
—— 「無常」のドラムの打ち込み、凄く格好良いです。トラック作りで影響を受けたプロデューサーはいます?
真似しちゃったのはアイヴァン&カーヴィンですね。簡単なJディラっぽいグルーヴの作り方を教わりました(笑)。どこをどういうふうに触ればできるのか手ほどきを受けて、そっからわかるようになっちゃって。
でも彼らほど作ってたわけではないですよ。あまり器用じゃないし、レコーディングになるとキーボードは誰かに任せます。そういう人たちのほうが詳しいんで、結局スタジオで打ち込みをやり直してもらったりするし。僕が作るのは簡単な曲のスケッチ程度ですね。でも楽しいんで、ドラムとかリズム部分は自分で作りきっちゃうこともあって。そういうふうにコンピューターは使いますね。
ディスコ/ファンク・レジェンドたちとスタジオを共にした久保田利伸
—— 久保田さんにとっての全米デビュー・シングルだった「Funk It Up」(『SUNSHINE, MOONLIGHT』 1995年)にはナイル・ロジャースがギターで参加しています。久保田さんはナイル・ロジャースがシックでヒットを飛ばしていた70年代後半、ディスコに通っていたんですか?
その後ですね。シックの一連のヒットがいっぱいあって、その直後くらいにディスコに毎週二回くらい通い出します。僕が通ってた頃って、もうナイル・ロジャースがプロデューサーとしてアメリカやヨーロッパのアーティストを手がけていた頃でした。
—— ディスコ・ミュージックに対してどういう印象でした?商業的になりすぎたなどと感じることはありました?
いや、大好きでしたね。いわゆる“ザ・バブル”のジュリアナ東京とか、ボディコンで扇子持ってお立ち台で踊ってるみたいな、そっちまで含めてディスコって捉えてしまうと、グルーヴ的にそちらは全然駄目ですけど。でも、ザップ&ロジャーとか、リック・ジェームスとか、ファンクの人たちがディスコ用に作ってる曲とかは当時大好きで。今でも好きですね。
—— ファンクと言えば、「MIXED NUTS」(『BONGA WANGA』 1990年)にはジョージ・クリントン、ブーツィー・コリンズ、ヴァーノン・リード、ウィリアム・ジュジュ・ハウスらが参加していてとても豪華です。どういったレコーディング・セッションになりました?
ジョージ・クリントンは一緒にサビを歌ってくれて。数時間だけでもいいからきてくれとお願いしたら、最終的にスタジオに3日間いましたね。スタジオというか、スタジオのラウンジとレコーディングする部屋を含めて、スタジオの建物に3日間。友達を呼んだり、彼が泊まるホテルもあったんですけど、スタジオに一泊してる日もあったし。僕らは毎日帰ったんですが。これまでで一番濃厚なレコーディングでしたね。しかも、今の世代というか、ヒップホップ世代じゃなくて、オールドスクールの時代の人ですからね。濃厚でしたね。

日本の音楽業界にブラック・ミュージックを持ち込んだ久保田利伸
—— ラップについてお聞きしたいです。今回収録されている「Messengers’ Rhyme」でも久保田さんがラップをしていますが、久保田さんはかなり前からラップを取り入れていましたよね。久保田さんが85年に作ったという幻のデモテープ、「すごいぞ!テープ」に収録されていた「It’s Bad」のデモ版では、日本語でラップしています。86年にいとうせいこうさんなどがラップ作品を出しますが、久保田さんはあのデモテープを作った時点で日本語のラップというものを聴いたことはあったのですか?
僕は中学、高校のときずっと日本の音楽を聴いてこなかったんですよ。だから日本語のラップも聴いたことがなかったです。いとうせいこうさんがやってるのを知ったのも後からだったと思います。でもいとうせいこうさんがやっていたことって、ある意味、音楽というかサブカルチャーのひとつとしてやってるみたいな、そんな感じがしましたね。
あ、でもひとつ思い出したのは、僕が学生のとき、佐野元春さんがニューヨークで1年くらいレコーディングしてアルバムを作っていて、そのなかで1曲ラップをしているんですよ、本人が。僕の友達の彼女が佐野元春さんのファンで、友達の家に行ってそれを学生のころに聴いてたのを覚えてます。その記憶はあります。
—— しかし久保田さんはそれを聴いて影響を受けたというよりは、アメリカから出てきていた音楽を聴いて、自分で日本語に置き換えたんですよね?
そうなんですよ。だから当時はよくわかってない。けど「ラップやんなきゃ!」「俺やりてー!」っていう感じで。しかも、リズムモノが好きっていうなかでやってるんで、ラップのライミングがどれほど大事かってこともあんまりわかってない。たまたまライミングできてるっていう程度のラップなんですよね。でもライミングは意識してなかったのに、不思議なもので自然にライミングされてるんですね。そのほうが気持ち良いんでしょうね。韻を踏んでるほうが、サウンド的に。でも今聴くと恥ずかしいですね。
「ブラック・ミュージックっぽいものは商品にしにくいっていう先入観が業界にはあった」 ―久保田利伸
—— 久保田さんのデビュー当時の日本におけるブラック・ミュージックの扱われ方ってどういったものだったのでしょう?
聴く音楽としては、ディスコがちょっとしたブームだったのでそこから聴く人もいたし、まだ宇田川町にあったころのタワーレコードではフロアの半分が輸入盤のブラック・ミュージックだった。洋楽として聴くものとしてはすごく強かったんですけど、日本人がやるものとしては商売になりにくいもの、っていう業界のイメージはありましたね。でも巷では洋楽として聴かれていた。ディスコもだし、同じ時代にAORがあって。AORはあのときブラック・コンテポラリーと呼ばれていたものの近いところにあったんですよ。だから世の中に馴染みはあったんですよね、聴くものとしては。
端的に言うとブラック・ミュージックっぽいものは商品にしにくいっていう先入観が業界にはあった。リズム&ブルースっぽい歌謡曲ってものはあるんでしょうけど、あの時代なりのR&Bとかブラック・ミュージックはなかなか商売に結びつかないイメージはあったと思います。でも巷では聴かれていた。業界が遅れていた気がしますね。
—— 久保田さんはデビュー当初から、海外で音楽をやることが目標だったのですか?
スティービー・ワンダーが『Songs in the Key of Life』というアルバムでグラミー賞を何部門も受賞したとき、テレビで「Another Star」を歌っているのを中学生くらいのときに見たんですよ。そのとき、アメリカの音楽の世界、黒人さんたちの歌の上手さや魅力にとりつかれて、それ以来、こういう人たちの中に混ざってやりたいっていう気持ちを持っていて。
でも気持ちがあるだけでどうやっていいかわからないし、そうこうしてるうちに日本でデビューしてしまった。そして忙しい毎日を過ごすなかで、ありがたく忙しくしてるんですが、ちょっと一息つくたびに、「俺はやっぱり向こうでやりたいんだな」って。向こうの人たちと一緒にやりたい、向こうで出したい、ずっとその気持を持ち続けていたんです。
久保田利伸がプリンスに教わったこと
—— 最後にプリンスについてお聞きしたいと思います。今年は残念ながらプリンスが他界してしまいましたが、 プリンスとお会いしたことはありますか?
ありますよ。初めて会ったのは『the BADDEST』(1989年)をPaisley Parkでミキシングしたときでしたね。そのときはプリンスに会いに行ったわけじゃなくて、プリンスのエンジニアとやってみたくて行ったんですが、廊下でプリンスが歩いてるのを見かけて、「Hello」って挨拶した程度です。その後、僕がニューヨークでやっていたときは、ときどきニューヨークの夜のクラブにプリンスが遊びにきて、ちょろっと会ったりして。
L・ロンデル・マクミランっていう物凄く優秀な黒人弁護士がいるんですが、彼はプリンスの弁護士だったんですが、僕の弁護士でもあったんですよ。なので、ロンデルが間に入りながら会話をすることは少しできました。まぁ、プリンスはあんな人ですからあまりたくさんは会話してないんですけど、以前と比べると、プリンスは後期にわりと人と接触するようになっていましたね。それ以前は人をひとりかふたり介しての会話しかしないような人だったんですけど、ちょっとくらいは会話しました。
—— 久保田さんはプリンスについて「天才、現代音楽史上でこの言葉が最も相応しい人間は誰か?僕の答えは常に変わらなかった」とツイートしています。久保田さんは、プリンスのどういったところに一番影響を受けましたか?
自由さです。フリーダム。プリンスの音楽って、いつの時代に作ったかわからないものが多いですよね。30年前なのか、8年前なのか。時代の感覚では作っているけども、いつも自分のやりたいものを時代に関係なく作ってる。売り方も自由ですよね。業界の常識とまったく関係ない売り方をして。レコードを作るペースも自由だし。レコーディングの仕方も自由だし。曲の作り方、スタイルも。ジャンルでいうとロックじゃないし、R&Bじゃないし、ソウルじゃないし、もちろんヒップホップでもない、プリンスっていうジャンルになるわけですよね。どこにも属さないし、ルールはいつのまにか自分で作っている。その自由さ。とうてい追いつけないんですが、音楽ってそれでいいんだよなって教えてくれます。
RELEASE INFORMATION
久保田利伸 『THE BADDEST ~Collaboration~』

- 2016.11.23 (水)
- 初回生産限定盤 CD+DVD ¥4,200 (税込)
- 通常盤 ¥3,600 (税込)
DISC 1
- 01. M☆A☆G☆I☆C(KUBOTA meets KREVA)
- 02. LA・LA・LA LOVE SONG(Toshinobu Kubota with Naomi Campbell)
- 03. 無常(feat. Mos Def)
- 04. FLYING EASY LOVING CRAZY(TOSHINOBU KUBOTA feat. MISIA)
- 05. Let’s Get A Groove ~Yo! Hips~(Bass:Meshell Ndegeocello, Saxophon:Michael Brecker)
- 06. MIXED NUTS(P funk Chant:George Clinton, Bass & Guitar:William “Bootsy” Collins)
- 07. Soul 2 Soul feat. AI
- 08. POLE POLE TAXI(feat. Maceo Parker)
- 09. Golden Smile feat. EXILE ATSUSHI
- 10. Is it over ?(Hook Vocal:JUJU)
- 11. Keep it Rock(feat. WISE, Tarantula from Spontania)
- 12. a Love Story(KUBOSSA ver.)(Flugelhorn:TOKU)
- 13. Moondust(poetry reading by Kyoko Koizumi)
- 14. Keep Holding U(SunMin thanX Kubota)
- 15. Messengers’ Rhyme ~Rakushow, it’s your Show!~(Rakushow Voice:Naoko Iijima)
- 16. Love under the moon(Harmonica Solo:Toots Thielemans)
DISC 2
- 01. Never Turn Back(Feat. Pras)
- 02. Funk It Up(Guitar:Nile Rodgers)
- 03. LIVING FOR TODAY(Feat. Mos Def)
- 04. HOLD ME DOWN(Duet with Angie Stone)
- 05. Till She Comes(Produced by The Roots)
- 06. Nice & EZ(Produced by D’wayne Wiggins)
- 07. SUKIYAKI ~Ue wo muite arukou~(feat. Musiq Soulchild)
- 08. Masquerade(Produced by The Roots)
- 09. Just The Two Of Us(Duet with Caron Wheeler)
- 10. VOODOO WOMAN(Feat. Renee Neufville)
- 11. Corcovado(Quiet Nights of Quiet Stars)(Acoustic Piano:Daniel Jobim, Guitar:Goro Ito)
- 12. NEVA SATISFIED(Produced by Ali Shaheed Muhammad)
- 13. Pu Pu(Produced by Raphael Saadiq)
- 14. FOREVER YOURS(Duet with Alyson Williams)
初回限定盤DVD
- 01. Soul 2 Soul feat. AI
- 02. Golden Smile feat. EXILE ATSUSHI Recording Document Full ver.
- 03. FLYING EASY LOVING CRAZY(TOSHINOBU KUBOTA feat. MISIA)
- 04. M☆A☆G☆I☆C(KUBOTA meets KREVA)
- 05. Messengers’ Rhyme ~Rakushow, it’s your Show!~(Rakushow Voice:Naoko Iijima)
- 06. LA・LA・LA LOVE SONG(Toshinobu Kubota with Naomi Campbell)
- 07. Masquerade(Produced by The Roots)
- 08. Funk It Up(Guitar:Nile Rodgers)
- 09. Just The Two Of Us(Duet with Caron Wheeler)
- 10. FOREVER YOURS(Duet with Alyson Williams)
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