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メイヤー・ホーソーン&ジェイク・ワンが牽引する、ブギー・ファンク新世紀
近年、80年代ブギー・ファンクはレコード・コレクターの間で垂涎の的になっているが、モダンなブギー・ファンクを生み出すアーティストも増えてきた。デイム・ファンクはその筆頭に挙げられるが、同じくStones Throwに所属するタキシードは、モダン・ブギーのスーパーグループと言えるだろう。Stones Throwからデビューしながらも、のちにUniversalに移籍したソウル・シンガー、メイヤー・ホーソーンと、50セントやドレイクなどトップ・ラッパーにトラックを提供してきたジェイク・ワンは、ブギー・ファンクの愛情で意気投合し、タキシードを結成した。
彼らがブギーを愛していることは意外かもしれないが、ふたりはいち早くこのジャンルに着目し、忙しいスケジュールの合間を縫ってタキシードとして新時代のブギーを作ってきた。彼らのファースト・アルバムには、生音のホーンズやストリングスが取り入れられ、メイヤーのソウルフルなボーカルとジェイク・ワンの80年代の香りがプンプン漂うトラックが絶妙に絡み合っている。また、ミックスは伝説的なディスコ・エンジニアのジョン・モラレスが担当しており、80年代のサウンドとモダンなサウンドがバランスよく共存している。シアトルに住むジェイク・ワンと、ロサンゼルスに住むメイヤー・ホーソーンにインタビューを敢行し、タキシードのアルバムについて語ってもらった。
ヒップホップ好きのふたりが’80sファンクで意気投合
―― ふたりはどうやって知り合ったのですか?
ジェイク・ワン:俺がメイヤーと最初に会ったときは、彼はまだシンガーになる前だった(笑)。彼は当時、ラップとDJをやっていたんだ。ハウス・シューズ経由で彼のことを知ったんだと思う。俺も当時から、ブギー・ファンクのミックステープを作っていたけど、メイヤーもそういうミックスを作っているという話を聞いたんだ。それが2005年頃かな。
メイヤー・ホーソーン:ジェイクとはヒップホップを通じて友達になったんだ。当時の俺はラップをやっていて、シアトルでライブをやった。ジェイクが観にきてくれて、そのときにミックステープを交換したんだ。俺は『Shoot the Dark』というミックステープを、ジェイクは『AR Music』というミックステープを作ったけど、彼のミックスと俺のミックスは収録曲が似ていたんだ。80年代のファンクばかりだったから、「世界中でこういう音楽が好きな人が俺以外にもいるんだ!」と驚いたね(笑)。それ以来、ずっと連絡を取り合っていたんだ。今はみんな80年代のレコードを血眼になって探しているけど、2005年頃は誰も探していなかった。
―― メイヤーがブレイクする前から友達だったわけですね。
ジェイク・ワン:そう、メイヤーはまだ誰にも歌を聴かせていなかった。いきなり彼が歌を発表して有名になったからびっくりしたよ。

「80年代ファンクは、単純にパーティー、ダンス、気持ちよさを追求していた」 – メイヤー・ホーソーン
―― メイヤーはどういうきっかけで80年代のファンクが好きになったのですか?
メイヤー・ホーソーン:いい質問だね。自分でも憶えていないくらいだよ。俺はもともとベーシストなんだ。子どもの頃、父親にベースを教えてもらったけど、80年代ファンクのベースラインがファンキーだしクールだから、子どもの頃から聴いていたんだ。
―― ジェイクは、50セントやドレイクなどのコマーシャルなヒップホップから、ブラザー・アリなどのインディー・ヒップホップまで幅広く手がけていますが、ブギーを聴いていたことは意外です。この音楽を好きになったきっかけは?
ジェイク・ワン:ヒップホップのプロダクションに飽きた時期があって、特にコマーシャルなヒップホップをプロデュースするときは、プレッシャーも多いんだ。だから、当時カネとは関係なく、遊びでブギー・ファンクのミックスを作り始めた。それがきっかけでメイヤーと仲よくなったんだ。その数年後に、ピアノのレッスンを受けるようになったけど、それまではまだブギー的な音楽を作るスキルがなかった。コードや音楽理論の知識が増えてから、実験的にブギーのビートを作るようになったんだ。それと、ビンテージのシンセサイザーを集めるようになったのも大きかったね。そこから始めたんだ。2000年頃からブギーのレコードを集め始めたけど、俺の場合、子どもの頃に最初に聴いた音楽だったから、ノスタルジックな意味合いもあった。俺の近所にギャップ・バンドやキャメオが好きな人がいたから、昔から好きだったね。Gファンクも、そういう音楽をサンプリングしていた。だからタキシードでは、そのふたつのスタイルをミックスしている。ミックステープを作り始めたのは2003年だね。
―― 60年代と70年代のソウルとファンクのコレクターは、80年代のファンクを軽視している風潮がありましたが、それについてはどう思いますか?
ジェイク・ワン:それは確実にあったよ。俺もそういう人だったしね(笑)。でも、60年代と70年代のソウルとファンクを長年集めていると、もう買えるものがなくなってしまうんだ。トロントに住む俺の友人のDJは、早くから80年代のレコードを買っていたけど、彼に「俺は80年代のレコードは買わない主義なんだ」と言ったことを憶えている。でもよく考えると、特に買わない理由はなかった(笑)。俺は頭のなかで勝手に、70年代のレコードしかサンプリングしないというルールを決めていた。でも、80年代のレコードもホットである事実に気づいて、集めるようになった。当時、コレクターの間ではまだ80年代のレコードは人気がなかったから、安く入手できてラッキーだったね。
メイヤー・ホーソーン:ヒップホップを作っていた頃は、確かにドラム・ブレイクが入った70年代のレコードを集めていたけど、80年代のレコードをまた聴くようになったのは、とにかく気持ちいいからなんだ。80年代ファンクは、単純にパーティー、ダンス、気持ちよさを追求していたから好きだ。
―― ふたりが交換したミックステープには、どういうアーティストのレコードが入っていたのですか?
ジェイク・ワン:ワン・ウェイ、ジェリー・ナイト、バーナード・ライトとか、よく知られているアーティストだけど、すごくクールなものがアルバムに1曲だけ入っていたりするんだ。ボビー・ブルームにも格好いい曲があったね。ブルー・マジックもバラードではなくファンキーな曲を作っていた。
メイヤー・ホーソーン:そうだった(笑)。「Clean Up Your Act」とかね。ブギー・ファンクはすごくマニアックなジャンルで、1981年から1983年くらいまでしか続かなかった。
ジェイク・ワン:ドラム・マシンが普及してからこのジャンルは消えてしまった。Solar Recordsとかシャラマーもいいね。
―― あなたたちのレーベルメイトであるデイム・ファンクもブギー・ファンクを有名にさせましたが、彼とも意気投合しましたか?
メイヤー・ホーソーン:俺がロサンゼルスに移ってきたとき、Funkmosphereというパーティーのフライヤーをもらったんだ。そのフライヤーに、俺が好きな80年代のレコードのジャケットが載っていた。そこに遊びに行って、初めてデイム・ファンクと会ったけど、当時はふたりともまだStones Throwと契約する前だった。デイムは昔からこういう音楽を集めていたから、ベテランだよ(笑)。
ジェイク・ワン:2006年に俺とメイヤーとデイムで、あるパーティーでDJをしたんだ。そのときはほとんど客が入らなかったけど、今はこうやってみんな活躍している(笑)。
メイヤー・ホーソーン:それだけブギーが一般的な人気になったんだよ。あのパーティーをやったときは、そういう音楽が好きな人はほとんどいなかった。デイム・ファンクはタキシードの「Two Wrongs」という曲でシンセ・ソロを演奏してくれたけど、ワンテイクで完璧だった。
ファースト・アルバム『Tuxedo』の誕生秘話
―― ふたりがミックステープを交換し合って、実際にタキシードを結成してコラボレーションするようになった経緯を教えてください。
ジェイク・ワン:アルバム1曲目の「Lost Lover」を最初に作ったけど、それは2008年だったと思う。ちょうどメイヤーが「Just Ain’t Gonna Work Out」を出した頃だ。トラックを作り終えて、メイヤーに送ったけど、すぐに歌を入れてくるとは思っていなかったね(笑)。
メイヤー・ホーソーン:おそらくジェイクは、俺に歌を乗せて欲しくて送ったわけじゃないと思う。「最近作ったトラックだよ」という軽い感じで送られてきたけど、どうしても歌いたくてボーカルを入れたんだ(笑)。あのビートは、本物の80年代のブギーに聴こえた。ジェイクがドープなヒップホップ・プロデューサーであることは知っていたけど、それまでは彼がラッパーのために作ったビートしか聴いたことがなかったんだ。だから、ブギー・ファンクのトラックが送られてきたときは、信じられなかったね。その日のうちか翌日に、ボーカルを入れてすぐに送り返したんだ。その後、ふたりで音楽を作るときは同じスタジオに入るように心がけた。
ジェイク・ワン:主に俺がトラックを作ったけど、一緒にこのアルバムをプロデュースしたから、いい作品に仕上がった。メイヤーがギターを演奏したり、一緒に音作りもしたんだ。
―― どこのスタジオでレコーディングしたのですか?
ジェイク・ワン:俺のスタジオも使ったし、ロサンゼルスとかニューヨークとか、いろいろなスタジオを使ったんだ。制作中にメイヤーがブレイクして、ずっとツアーに出っぱなしだった。
メイヤー・ホーソーン:ジェイクもドレイク、ウィズ・カリファ、スヌープとか、有名なラッパーにビートを提供することで忙しかったから、合間を縫って一緒にスタジオに入ったんだ。しばらくしてからまた一緒にスタジオに入ると、互いに音楽的に成長していたから、前よりも作業がしやすかった。

「ブギー・ファンクで一番大事なのはベースなんだ。シンセ・ベースの音が格好よくないとダメだね」 – ジェイク・ワン
―― ジェイクはサンプリングのビート作りで知られていますが、タキシードのアルバムはサンプリングで作ったのですか?
ジェイク・ワン:いや、サンプリングはしていない。ドラムはブレイクビーツを使ったけど、それを生のバンドが演奏しているように用いたんだ。そういう意味では、新たなチャレンジだったけど、楽しかった。この作品は、とにかく楽しい気持ちで取り組めたんだ。ここ10年間、ヒップホップを仕事としてやっているけど、仕事だからプレッシャーもある。でもタキシードのトラックは、いつもの仕事と違うし、とにかく楽しかったんだ。
メイヤー・ホーソーン:この作品を作り始めたときはまだレーベルも決まっていなかったし、とにかくふたりとも楽しいからやっていた。それがアルバムのサウンドに反映されている。
―― メイヤーはギターとベースを担当したのですか?
メイヤー・ホーソーン:ギターとベースを演奏したけど、全部じゃないね。少しだけシンセも演奏した。
ジェイク・ワン:ほとんどのトラックは俺が作り始めて、シアトルのスウィッシュという人にキーボードを演奏してもらったんだ。ストリングスはニック・ブロンガーズという素晴らしいストリング・アレンジャーが担当してくれた。ニックも有名になってしまって、ティンバランドが俺たちから奪ったんだ(笑)。
―― 80年代のシンセも使ったのですか?
ジェイク・ワン:山ほどシンセを買ったよ。Memorymoogは2010年に入手したけど、このシンセをメインで使ったんだ。「Do It」も「So Good」もこのシンセだね。
メイヤー・ホーソーン:ジェイクがMemorymoogを買ってからサウンドが変わった。
ジェイク・ワン:Yamaha CS01も結構使ったよ。Roland Juno-60もよく使ったね。
メイヤー・ホーソーン:俺が買ったARP Pro-Soloistも結構活躍した。
ジェイク・ワン:最近もいろいろなシンセを買ったから、次の作品ではサウンドが変わるかもしれない(笑)。
―― 具体的にどういうサウンドを目指しましたか?
ジェイク・ワン:シンセ主体のサウンドにしたかった。ブギー・ファンクで一番大事なのはベースなんだ。シンセ・ベースの音が格好よくないとダメだね。
メイヤー・ホーソーン:だからアルバムをジョン・モラレスにミックスしてもらったんだ。80年代のピカピカしたサウンドが欲しかったからね。モラレスは完璧に仕上げてくれた。
―― ジョン・モラレスが手がけた作品のなかでどれが好きですか?
ジェイク・ワン:まずはP&Pのレコードだよね。リロイ・バージェスの作品とかも好きだよ。彼がここ数年手がけたリエディットもすごくクールで、70年代のときよりもさらにサウンドがよくなっていた。彼がリエディットした『The M&M Mixes』シリーズのサウンドは、最近のポップスにも負けないサウンドだ。今回はそのふたつのサウンドを組み合わせたかった。
メイヤー・ホーソーン:俺たちは、今のラジオでかかっているような音楽に匹敵するサウンドにしたかったんだ。ジョン・モラレスはその橋渡しをしてくれた。俺がニュージャージーに飛んで、ジョン・モラレスのスタジオで話し合ってミックスしてもらった。ビンテージでありながらも、2015年らしいサウンドに仕上げてもらいたかったんだ。モラレスが手がけたログ(Logg)の作品とか、スカイの「Here’s to You」が個人的には大好きだね。
ジェイク・ワン:モラレスも俺たちの音楽を理解してくれたから、完璧な人選だった。
―― モラレスとの作業はどうでしたか?
メイヤー・ホーソーン:基本的に彼は12分のディスコ・エディットを作りたがる人だから、そっちの方向にはいかないように注意したよ。彼は長いミックスが得意だけど、俺たちには3、4分の曲が必要だった。
ジェイク・ワン:モラレスがDJをするとき、俺たちの曲もプレイしているそうだから嬉しいね。

もともと正体不明のユニットだったタキシード
―― 以前、アルバムの収録曲を幾つか匿名で公開していたそうですね。
メイヤー・ホーソーン:2013年か2014年だったと思う。そのときの俺はUniversalと契約していたから、メイヤー・ホーソーン名義ではリリースできなかったんだ。だからタキシード名義で発表して、俺とジェイクの名前は伏せておいた。
ジェイク・ワン:俺とメイヤーがやっている音楽のイメージがあるし、そういう意味でもあえて名前を出さなかった。俺たちの名前を出したら、ヒップホップ・ビートにメイヤーの歌が乗っているような音楽が想像されると思う。まっさらの状態からスタートしたかったんだ。
―― どういうきっかけで、Stones Throwからアルバム・リリースすることになったのでしょうか?
メイヤー・ホーソーン:俺が友達に、タキシードの曲を車のなかで聴かせていたときに、たまたま(ピーナッツ・バター・)ウルフが車に乗ってきて、「これは誰の曲?」と訊いてきたんだ(笑)。彼に説明したけど、あまり興味を示していないようだった。でも、最終的に彼は俺たちの音楽を気に入り、Stones Throwからリリースされることになった。もともとウルフは80年代後半のドラム・マシン・ファンクが好きだけど、最近はイタロ・ブギーとかブギー・ファンクが好きみたいだね。
―― タキシードという名前を考えたのは誰ですか?
メイヤー・ホーソーン:俺だよ。ジェイクはこの名前を気に入らなかったんだ。「タキシードにしよう!」と提案して、俺はすごく気に入っていたけど、ジェイクは「どうかな」という感じだった。俺がしつこくタキシードを推したから、最終的にジェイクは諦めたのかもしれないね(笑)。
ジェイク・ワン:俺が最後にタキシードを着たのは7歳の頃だし、あんまりしっくりこなかったけど、今考えると俺たちの音楽にぴったりだ。上品な名前だよね。
メイヤー・ホーソーン:80年代初期のブギーのグループは、プラッシュとかシックとか、ワン・ワードのグループが多かった。だからその伝統を踏襲したかったんだ。
―― 今後の予定を教えてください。
メイヤー・ホーソーン:今はタキシードに集中しているよ。
ジェイク・ワン:いろいろなラッパーのプロダクションはやっているけど、タキシードが楽しいから、ヒップホップのビート制作は自分のサイド・プロジェクトみたいになっているね(笑)。ラッパーのプロダクションをやると「サンプリング使用の許可が出なかったから、アルバムでは使えない」とか、そういうことを言われるけど、タキシードのサウンドは全部自分でコントロールできるからやりやすいんだ。
―― 日本のファンにメッセージをお願いします。
メイヤー・ホーソーン:日本が大好きだし、日本に行ってライブをやりたいから、タキシードの音楽を好きになってくれることを願っているよ。
ジェイク・ワン:俺も同感だね。過去に二度、日本に行ったことがあるけど、レコード・ディギングが主な目的だった。次はライブしに行きたいね。原宿にあるビンテージ・シンセ・ショップにも行ったことがあるけど、あそこは俺が知る限り一番すごい店だ。だから今度はたくさんシンセを買って帰りたいね。
Words by Hashim Bharoocha Photos by Piper Ferguson
RELEASE INFORMATION
Tuxedo 『Tuxedo』

- 【CD】¥2,200 (Tax excl.)
- 2015.03.04(wed) Release
- Stones Throw
- STH-2360JP