2014年の頭はムーディーマンのニュー・アルバムで幕を開けたが、年末は同じくデトロイト・ハウスの生きるレジェンドであるセオ・パリッシュのアルバムが締めくくることになった。そもそも寡作のアーティストだが、ソロ・アルバムは2007年の『Sound Sculptures Volume 1』から実に7年ぶりとなる(今年はエイフェックス・ツインとディアンジェロが、それぞれ13年ぶり、14年ぶりのニュー・アルバムをリリースしたので、それらには適わないが)。彼のように約20年も活動するベテランで、デトロイト・ハウスやビート・ダウンという固有の音楽のオリジネイターであり、確固とした自身の世界観を持つアーティストになれば、たとえ何年ものブランクがあっても、生み出される音楽にはブレがないことは、ファンであれば当然理解している。また、ムーディーマンにしろ、セオにしろ、一般的な流行や音楽シーンの動向とは異なる地平で活動するアーティストなので、少しも世間に迎合したところはなく、清々しいくらいに愚直に、自身の欲する音楽を表現している。
世界観が構築されたベテランの場合、ある意味で我々の予想と大筋で同じ内容と言えるものが生み出されるわけだが、そこには正直なところ目新しさはなく、新たな発見という点での期待は薄い。いかに時代と同期しているかを感じる醍醐味にも欠ける。これはムーディーマンの新作について特に感じたことで、今までの延長線上にある作品集であるがゆえ、彼の世界観を満喫できるものではあるが、衝撃度からするとやはり初期作品には劣るものだった。では、この『American Intelligence』についてはどうかと言うと、確かに今までのセオの歩みに立脚したアルバムだが、でも必ずしもその軌跡をなぞるだけのものではなく、また自身のアイデンティティに束縛されるものでもないと思う。「Drive」のようないわゆるセオ節とも言うべきディープ・ハウスもあるが、でも従来のデトロイト・ハウス的なものはこれや「…There Here」「Be In Yo Self」など数曲で(これらにしても、一般的なディープ・ハウスからすると随分と個性的で異形だが)、全体を通してみると非常にリズム・バリエーションが多彩だ。そのビート・サイエンティストぶりは変わったアクセントを持つ「Life Spice」に顕著だが、ここにあるようにファンクとアフロを下敷きに、そこから新たなビートを探求しているものが多い。
「Tympanic Warfare」はアフロをモチーフとしつつも、単純なアフロ・ビートの再現ではなく、セオなりに研究や実験を重ね、ジャズなどいろいろな要素を融合し、非常に複雑で成熟されたものを作り出している。「Fallen Funk」もアフロ・ファンクのバリエーションのひとつだが、今まで多く作り出されたアフロ・ファンクとは全く異なる独自性を持つ。一方、盟友マリウス・ピットマンらが参加した「Ah」のような、ビートレスに近い美しいアンビエント調ナンバーもある。「Footwork」はセオからのシカゴのジューク/フットワークに対するメッセージが込められているのかどうかはわからないが、少なくとも一般的なジューク・ナンバーではなくて、むしろブロークンビーツなどに近い。「Cypher Delight」も同じくブロークンなビートで、こちらはジャズ的なポリリズム感覚がある。「I Enjoy Watching You」はまるでドラマーの視点から作られたような生きたビート作品と言える。そして、「Make No War」のような変拍子曲あり、実験的なエレクトロニック・ミュージックの「Creepcake」や「Helmut Lampshade」がある。予定調和に収まることなく、攻め続けるセオの姿勢がうかがえるアルバムではないだろうか。そして、その飽くなき音楽的探求が、トレンド的なものや世の中に多く溢れる音などから借りてきたものではなく、あくまで独自の研究や研鑚から生み出されているところが素晴らしい。
Reviewed by Ogawa